2017年3月19日日曜日

2017.03.18 「この世界の片隅に」

高根沢町町民ホール

● 見たいと思っていながら見損ねた映画が,最近2つある。ひとつは「聖の青春」で,もうひとつが「この世界の片隅に」だ。
 DVDになるのを待つかと思っていたところ,「この世界の片隅に」が高根沢町町民ホールで上映されるという。
 見ることができた。見れてよかった。

● 舞台は,太平洋戦争末期の広島県呉市。となると,内容は推測できるよと思う人がいるかもしれないんだけど,たぶんその推測とは違っている。戦争の悲惨さ,原爆の凄惨さを訴えたいというのが,第一義ではない。
 この映画のサイトに監督・脚本を担当した片渕須直さんが次のような文章を載せている。
 『この世界の片隅に』は,戦争が対極にあるので,毎日の生活を平然と送ることのすばらしさが浮き上がってくる。「日常生活」が色濃く見える。ふつうの日常生活を営むことが切実な愛しさで眺められる。これはたしかに自分がチャレンジしてみるべき作品だと強く思いました。
● 映画の始まり近くと終わり近くに登場する2人の少女。始めに出てくるのは,すずさんだけに見えた座敷童,終わりに登場するのは,原爆症で母親を亡くした孤児の女の子。
 この2人が同じ顔だったような。何かの隠喩かなと考えてしまう。でも,それはないんだろうな。

● ちょっとしか登場しないけど,遊女のリンも魅力的なキャラクターだ。というか,このアニメ映画には魅力的なキャラクターしか登場しない。
 幼くして亡くなる晴美もその母親の径子も。すずさんの夫の周作も嫁ぎ先の舅や姑も。

● 最大の功労者はすずさんの声を担当した“のん”さんってことになりますか。コトリンゴの音楽にも注目。

● すずさんの幼なじみで海軍兵になっている水原哲に対して,すずさんが見せる気安さに対して,夫の周作が嫉妬する場面がある。
 夫には見せることのない別の顔を持たない妻なんて,一人もいないだろう。夫婦という関係になると(昔の“囲う”という関係も同じだと思うが),自動的にそういう盲点が発生する。だから,それは嫉妬の対象にしなくてもいいんだけどね。
 ただし,原作はこのあたりの関係がもうちょっと入り組んだ設定になっているらしい。

● 同じ原作がTV(日テレ)ドラマにもなっている。タイトルも同じ。役柄の設定は映画とまったく同じというわけではないらしいんだけど(そりゃ,当然だね)。
 2011年の8月5日に放送された。北川景子主演。残念ながら,ぼくは見損ねている。

2017年3月13日月曜日

2017.03.11 宇都宮市民プラザ ウィークエンドシネマ 「サンセット大通り」

宇都宮市民プラザ 多目的ホール

● ぼくは宇都宮市民ではないんだが。宇都宮市民プラザに行くのも,これが初めてだ。二荒山神社の登り口の東側に「うつのみや表参道スクエア」なるビルがあって,その5・6階が宇都宮市民プラザになっている。
 どういう施設かは知らない。ただ,“ウィークエンドシネマ”と題して,往年の映画を上映していることを最近知った。

● 入場できるのは宇都宮市民に限るということでもないようなので,今回,初めてお邪魔させてもらった。
 このビル,わりと暗ったい。採光がよくないのか,照明が足りないのか。
 と思ったら,今日は土曜日。社員が出勤していない事業所もあったのだった。

● この上映会は(昔の言葉で言うと)老人福祉施策に属するものだ。厚生労働省の予算ではないだろうから,福祉施策には分類されていないだろうけど,実質は老人に無料で娯楽を提供する事業になっている。
 つまり,お客さんの多くは後期高齢者。そうじゃない人はあまりいない。ぼくなんか,ここでは若い方に属する。

● これはね,どこでもそうだし,何でもそうだ。テレビだって若者は見なくなっている。視聴率を取ろうとすれば,老人に合わせるしかない。
 文庫本が生まれたのは,お金のない若者が本を読めるようにしようとしたからだろう。その文庫本も購入層は40代がメインだという。いずれ50代になると言われている。
 週刊誌もそうだ。読者層はどんどん高齢化しているに違いない。今どきの若者が写真週刊誌なんか読むと思うかね。
 クラシック音楽のコンサートもそうだ。客席には爺と婆しかいないと言って過言ではない。

● まして往年の映画となれば,そもそも若者の世界にはないものだろう。見れば面白いと思うかもしれないけれど,年寄りが集まっているところに若者が寄りつくはずがない。
 少子化もある。その勢いは半端ではない。若者はもはやいないのだと思った方がいいのかもしれない。若者はいないのだから,ものみなすべて年寄りにフォーカスしていくのだ。

● 「サンセット大通り」は1950年のアメリカ映画。監督はビリー・ワイルダー。
 往年の大女優で今は忘れられた存在になっているノーマ・デズモンドをグロリア・スワンソンが演じる。ノーマの若い燕のジョー・ギリス(ウィリアム・ホールデン),ノーマの召使いであるマックス(エリッヒ・フォン・シュトロハイム)の3人がドラマを織りなしていく。

● 最も影のある存在がマックス。終盤近くになって,若いときのノーマが出演した映画の監督で,ノーマをスターダムに押しあげ,かつノーマの最初の夫であったと語る。つまり,ノーマの異様性が一段と強調される。
 マックスはノーマがすでに狂気の世界にいることをわかったうえで,輝いていた過去の彼女に忠誠を尽くそうと思い決めているのだろうか。

● そのノーマを演じるスワンソンの演技は見事。鬼気迫るとはこういうときに使う言葉だろう。見ておいて損はない。
 こういう映画は,若いときに見てももちろんいいんだろうけど,年を重ねてから見るとしみじみと哀感を覚えるかも。

● 20歳前後の頃,“名画”と呼ばれるものを次々に見続けたことがあるんだけど(3本立てのいわゆる名画座で),「サンセット大通り」はたぶん見ていない。
 仮に見たとしても,おどろおどろしさ以上のものを感じることはなかったろう。当時のぼくは,まるっきりネンネだったから。

2017年3月6日月曜日

2017.03.04 「ラ・ラ・ランド」

TOHO CINEMAS 宇都宮

● 脚本と監督はデミアン・チャゼル。ジャズピアニストのセブをライアン・ゴズリング,女優をめざすミアをエマ・ストーンが演じる。

● ミアが最初に登場するのはバイト先のカフェのレジ。西洋の女性って,いくら美人でも,いかにも肉を喰って育ったという感じに見えてしまうんだよね。
 つまり,女と思えない。雌という感じがする。ミアが女性に見えるのは,上映開始から20分くらい経ったあたりからだな。
 対して,セブは最初から男性に見えたよ。このあたりはぼくが男だからかね。

● 高速道路で渋滞中の車から次々に降車して,群衆がダンスを始める冒頭のシーンに驚愕。こういうのは日本の映画では見たことがない。アメリカの映画だなっていう気がする。
 ここでオープニング・ナンバー"Another Day of Sun"が歌われることになるわけだけど。オープニングなんだから派手に行かなきゃ。

● ミアが乗っているのはトヨタのプリウス。待て待て,売れない女優(の卵)が乗れる車じゃないだろうよ。というような突っ込みどころもあり。

3/6の読売新聞
● セブがジャズについてミアに語るシーンがある。ジャズは聴いただけじゃわからないんだ,見なくちゃダメだ,と。
 ジャズに限らない。クラシックだってCDを聴くだけじゃなくて,たまには演奏している生のシーンを見た方がいい。
 じゃあ視覚障害者にはジャズはわからないのかという突っこみは入らないと思うんだけど,おそらく視覚障害の人たちは,健常者が耳+眼で入力する情報を,耳だけで感知できるのだろうと思う。

● 現実に虚構を挟みこんで,時間を巻き戻す,あるいはもう一つのあり得たかもしれない人生を描いてみせる手法は,ありふれているのかもしれないけれども,こちらの胸に迫る。
 しっとりと楽しめる佳作だと思った。