2016年11月7日月曜日

2016.11.06 高根沢町図書館上映会-「ピノキオ」

高根沢町図書館中央館 2Fアートホール

● 「入場無料です。お気軽にお越しください!」というので,行ってみた。午後1時に始まって,3時40分に終了。上映されたのは次の2本。 
 謎の海底 サメ王国
 世界名作アニメ ピノキオ

● 前者は2013年にNHKが制作したドキュメンタリー。NHKで放送されたものだと思われる。駿河湾と相模湾の深海は深海サメの宝庫。多種のサメが生息している。その生態をカメラが捉えた的な。
 好きな人は好きなんだろうな。ぼくもこういうの,嫌いではないんだけれど,かといってさほど好きなわけでもなく。

● 太古から進化を止めている深海サメ。なぜかといえば,深海は地表に比べれば環境変化がなかったから。進化しなければならない理由がない。
 ヒトは進化の最終形態なのかそうではないのか。どっちでもいいんだけど,進化したのが偉いってわけでもないんだな,と。

● 深海サメを研究対象としている学者が2人,登場する。研究対象としているというと聞こえがいいけれど,要はヘンなのに興味を持って,それを追いかけているわけだ。つまり,オタクだよ。学者=オタク,でよろしいか。
 女性のスカートの中を追いかけると刑務所に行くんだけど,深海サメを追いかけると大学の教授になる。

● けれども,好きなことを追求してそれが仕事になっている人って,羨ましい。2人の学者,どちらも活き活きしてて,楽しくてしょうがないって感じだったからね。

● 「ピノキオ」は1940年の作品。もちろん,アメリカ製。ピノキオのストーリーって,ぼくの場合は,小学生のときに講談社の絵本で仕入れたものだと思う。
 で,そのときの記憶とディズニーランドのピノキオのアトラクションの場面展開が合わなくて,少し違和感を持っていたんだけど,それが解消された。ディズニーランドのアトラクションは,この映画のストーリーをそのままなぞっているのだった。

● で,この映画のピノキオには落ち度はまったく何もない。命を吹き込まれたばかりの赤ん坊も同然のピノキオを,学校に行かせるゼベット爺さんが間違っている。
 しかも,木の人形が歩いて喋るのだ。人目を惹くのは当然だ。悪いやつに騙されてサーカスに売られたり,“喜び島”に送られたりするのも,ピノキオの責任ではない。
 要するに,邪悪な人間世界に無防備で飛びだしたのがピノキオだ。

● で,最後は,大鯨に呑みこまれたゼベット爺さんを命を呈して助けに行く。見事に助けだして,ピノキオは人間になることができた。
 つまり,ピノキオはあり得ないほどにいい子なのだった。この映画においては。

● せっかくの図書館の行事なのに,客席にいたのは数名。他の施設での催事と重なったらしい。それが理由だよ,と言っていたご老人がいた。
 昔の映画を上映して人を呼ぶのは,かなり難しいのだろう。対策としては,親子で見てねという今の路線を廃して,往年の名画に特化すること。そうすると老人ばかりになるけれど,老人は数が多いから,頭数は増えるのじゃないか。
 ただ,それは宇都宮市立図書館がすでにやっていることだ。同じことをやるのもシャクかな。

2016年11月5日土曜日

2016.11.03 ぼくのおじさん

TOHO CINEMAS 宇都宮

● 朝の9時過ぎ。この時間帯でも,TOHO CINEMASにはけっこうな数のお客さんがいた。シネコンなんて言葉,もう死語になっているのかもしれないけれど,シネコンができる前の映画館の惨状と対比すると,隔世の感がある。
 映画は死んだとまで言われていたのではなかったか。テレビに圧されっぱなしで,もう風前の灯火だみたいな。

● けれど,今になってみれば,映画そのものが斜陽だったのではなくて,映画を観る場が時代遅れになっていただけだったのだとわかる。
 薄暗い。トイレの臭いが漂ってくる。学校の購買部より貧弱な売店と愛想のないおばさんの販売員。裏街道に迷いこんだと思わせる,悪場所的な雰囲気。
 懐メロ爺さんの中には,それが良かったのだという人もいるかもしれないけどさ。

● シネコンは映画を明るい健全娯楽にした。明るくなれば陰は消える。
 今のシネコンは屈託がない。性別や年齢を問わず,夫婦やカップル,家族連れ,一人者,誰でも好きな映画を気兼ねなく観に来れる場になった。
 初めてシネコンを構想し,作った人は,偉いと思うな。

● その偉い人の発想を刺激したひとつは,ディズニーランドだと思うね。ディズニーランドは誘蛾灯だ。ああいうものに人は群がるものだとわかった。だったら,映画館も同じようにすればいいじゃないか。
 飲食物で儲けるっていうビジネスモデルを成功させたのもディズニーランド。これもしっかり真似ている。シネコンも,チケット収入より,ポップコーンとドリンクで儲けているよね。

● 持ち込みは禁止なんだよ。見ながら飲み食いするとうるさいからという理由。だったら,館内販売のポップコーンやドリンクだって同じ理屈でダメなはずだがな。
 でも,客席にはコップを置くためのホルダーが設置されている。どうぞ,飲みながらご覧ください,って。

● ポップコーンもドリンクも,いくら何でもボッタクリすぎだろうと思える値段だ。だから,ぼくは買ったことがない。
 なんだけど,あまりお金を持ってなさそうな高校生がジャンジャン買っている。彼女とデートに来ている? お金を惜しむところじゃないんだろうな。
 って,そういうことじゃないようだ。条件反射で買っているんじゃないかと思う。映画とはポップコーンを食べながら見るものである,っていう。

● 相方もポップコーンを食べるのと映画を見るのをセットで考えているようだ(だから,相方はここのポップコーンを買う)。
 映画を見る時間を大切にするということは,つまりポップコーンを食べながら見ることとイコールのようなのだ。映画を楽しむという体験の中に「ポップコーンを食べる」も組み込まれているのだ。

● さて,この映画は北杜夫の原作を山下敦弘さんが監督。“おじさん”は松田龍平。頭が良くて気が利く甥の雪男(つまり“ぼく”)に大西利空。
 雪男の父親が宮藤官九郎で,母親が寺島しのぶ。物語後半のマドンナになるエリーさんに真木よう子。

● 一緒に見た相方の意見は,後半は要らないというもの。北杜夫の原作にこんなのはない。“おじさん”の抜けぶりを淡々と映像にしてくれればいい,恋愛ストーリーはいらない,ということ。
 ぼくも北杜夫の小説やエッセイはほぼすべてを読んでいると思うんだけど,相方も幼い頃に北杜夫を知って,耽溺した過去があるらしい。原作の香りをそのまま映像にしてほしい,余計なものは入れないでほしい,と考えているようだ。

● でも,ま,ストーリーがないと2時間もたせるのは難しくなる。エリーさんを巡って,“おじさん”と老舗の和菓子屋の御曹司(戸次重幸)が演じるドタバタも面白かったけどね。
 “おじさん”と雪男が,並んで海を見ながら,そろそろ日本に帰ろうかというシーンも,絵的にキレイだったし。

● この映画は雪男でもってるような気がしたね。大西利空の可愛らしさと巧さ。天才子役の誕生だ。
 が,子役ってわりと使い捨てにされる印象あり。あんまり芸能界に深入りさせない方がいいよなぁ,親としては,と余計なことも考えた。