2017年12月23日土曜日

2017.12.23 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 20世紀名画座 「白い恐怖」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 1945年に公開されたヒッチコック作品(アメリカ映画)。この映画で最も大切な綾になるのは“夢判断”だ。専門家に言わせれば,たぶん,夢判断ってそんなものじゃないよ,ってことになるんだが,一般人にもわかるように,かつ映画として成立するようにしようとすれば,こうなるしかないでしょう。

● 主役はイングリッド・バーグマン扮する精神科女医のコンスタンス・ピーターソン。そこに颯爽と登場するのが,グレゴリー・ペックのジョン・バランタイン。
 しかし,彼は記憶を失っていた。コンスタンスは彼の記憶を取り戻そうとする。これが物語の縦糸。なぜそんなことをしようとしたのかといえば,ジョンに恋してしまったから。それが横糸。

● 後半にコンスタンスの恩師であるブルロフ先生が登場する。マイケル・チェーホフが演じる。この映画で最も印象に残った俳優が彼だ。
 日本人俳優でいうと誰にあたるだろうか。笠智衆ではないし,ちょっと思いつかない。茫洋をまとった繊細。その繊細を野放しにしない叡智。そういう人を体現している。

● この映画で,グレゴリー・ペックは最も美しいときのイングリッド・バーグマンと共演した。数年後には最も美しいときのオードリー・ヘップバーンとローマの休日を楽しんだんだよな。
 この果報者が,と言うべきか。あるいは,大変だったねぇ,とねぎらうべきか。

2017.12.23 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 日本映画劇場 「続・丹下左膳」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 持てば人を斬りたくなるという妖刀「乾雲」と「坤龍」。「乾雲」は左膳(大河内傳次郎)が持ち,「坤龍」は諏訪栄三郎(三田隆)の手にある。
 左膳にはお藤(水戸水子)が,栄三郎にはお艷(山本富士子)が,それぞれ慕い人として花を添える。
 監督はマキノ雅弘。

● 1953年の映画。この時期,映画は贅沢な娯楽だったはずだ。しかも,都市部(というか,街場)に住んでいる人たちの。
 大方の人には高嶺の花であったろう。その分,映画や映画館はキラキラと輝いていたに違いない。
 それを思えば,今はいい時代になった。映画は完全に庶民の娯楽になった。だからといって,最近の映画は質が落ちたということは(たぶん)ない。

● しかも,その時代の映画がDVDになって,家庭でも見ることができる。ぼくらは昔の大名以上の贅沢を味わっているのだろうね。
 ま,しかし,贅沢や幸せというのは,他人との比較を前提にした相対的なものであるようで,なかなかその贅沢に満足できないものではあるのだけど。

● でも,本を読みたければ図書館が,映画を見たければこういう無料の上映会が,音楽を聴きたければやはり無料のコンサートがある(主にはクラシック)。っていうか,CDもDVDも近くの図書館で借りられる。
 「健康で文化的な最低限度の生活」と日本国憲法が言うときの「文化的」には,映画や音楽や読書といった含意はないと思うけれども,そうした生活をしようと思えば,それ自体には1円も使わずとも実行できる環境が整っている。これはやはり,現代を生きるありがたさのひとつといっていいだろう。

● ぼくが子どもの頃は,丹下左膳は現役のヒーローだった。少年雑誌(少年マガジンとか少年サンデーとか)の表紙を丹下左膳の挿絵が飾ることがまだあったと記憶する。
 だものだから,この映画,自分が生まれる前のものではあるんだけども,古いという感じはあまり受けない。

2017年12月11日月曜日

2017.12.09 宇都宮市民プラザ ウィークエンドシネマ 「自転車泥棒」

宇都宮市民プラザ 多目的ホール

● 1948年のイタリア映画。監督はヴィットリオ・デ・シーカ。
 稼ぎの糧の自転車を盗まれた主人公アントニオ(ランベルト・マジョラーニ)が,息子ブルーノ(エンツォ・スタヨーラ)と二人で犯人を探す。
 “貧すれば鈍す”の物語。無関係の老人に多大な迷惑をかけ,無実の人を犯人と思い込み,あげくは自分が自転車を盗んでしまう側に回る。

● そんなことをしてる暇があるなら,別な仕事を探せばいい。粘着質なんだろうな,盗まれた自転車を探すことだけに視野が狭窄されてしまう。
 子役を演じたエンツォ・スタヨーラでもってるようなところがある。

● まぁ,でも,この映画の肝はそういうところにあるのではない。たぶん,何事かを訴えたい社会派映画なのだろう。その何事が何なのかは,ぼくにはわからないのだが。
 どうにもならないこの世の無情なのか,名もない市井人に対する世間の冷たさなのか。

● しかし,貧乏だからといって幸せになれないわけではない,ということも教えてくれる。ただし,ひとつだけ条件がある。まわりの人たちもひとしなみに貧乏であることだ。ここが崩れてしまうと,貧乏は辛いだけのものになる。
 だから,貧乏人は集まってスラムを作るのかもしれない。スラムに住む方が幸せなのかもしれない。

● ぼくが子どもの頃の田舎(農村)はひとしなみに誰もが貧乏だった。もちろん,多少の差はあったんだけどね。
 あの当時の暮らしを今の時代に再現すれば,間違いなく生活保護に該当するだろう。では,当時,ぼくらは不幸だったか。あの頃に戻りたいとはサラサラ思わないけれども,小さい幸せはいくつもあったような気がする。
 近所の女の子に心ときめかす幸せ。母親に背負われて移動した診療所までの1キロ半の道のり(背負って歩く母親はそれどころじゃなかったろうけど)。正月の餅の旨さ(ぼくは喉に詰まらせてしまう癖があって,餅米の餅は食べさせてもらえなかった。小麦粉で作ったおかきのようなものをあてがわれていたんだけど,それでも醤油を付けて焼くだけで充分に旨かった)。霜柱を長靴で踏んで歩く快感。たまに買ってもらう付録付きの少年雑誌を開くときの満ち足りた気持ち。初めて手にした安物の万年筆で大人に近づいたと思えたとき。
 そういう小さな幸せはたしかにあった。そして,幸せとは常に必ず,小さなものなのだ。