2018年2月21日水曜日

2018.02.17 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 日本映画劇場 「父ありき」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 先月の「戸田家の兄妹」に続いて,小津作品「父ありき」。1942(昭和17)年の作品。
 洋画がヒッチコックなら,邦画は小津安二郎。小津作品もぜんぶ見たいもの。こちらも急がずゆっくりと。

● 小津作品には欠かせない笠智衆が父の堀川周平を演じ,息子・良平に若き佐野周二。が,その少年時代を演じた津田晴彦が,子どもの健気さを演じて秀逸。この人,このあとどうなったのだろう。子役で終わったんだろうか。

● 2つ感じるところがあった。ひとつは,自分は息子にここまでの愛情を注いだろうか,ということ。否。はっきりと否。
 息子が幼かった頃の彼に対する自分の振る舞いを思いだして,息が苦しくなるような思いがした。自分はダメだった。じつに父親失格だった。堀川周平の1割ほどでも息子を思ってやっていれば。
 
● もうひとつは,どんなに素晴らしい親でも子供に迷惑をかけないでいることはできないのだ,ということ。子供はどうしたって親の犠牲になるものなのだ。
 その子が親になってもまた同じことを繰り返さざるを得ないのだ。それでも子供は育っていくのだ。

● アマゾンを見たら,「小津安二郎大全集」が1,833円で販売されていた。「東京物語」など代表作が9つ収められている(「父ありき」も入っている)。1作あたり200円。これほどのものがこの値段で買えて,自宅で見れる。
 いやはや,恐ろしいというかありがたいというか,とんでもない時代になったものだ。この映画が上映された当時は,映画なるものは都市部の上流階級の人たちの娯楽だったはずだ。
 今現在,ぼくらにはできなくて,上流階級にのみできる娯楽って何かあるんだろうか。あるんだろうけど,それが何なのか,ぼくにはわからない。

2018.02.16 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 20世紀名画座 「パラダイン夫人の恋」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● ヒッチコック作品「パラダイン夫人の恋」(1947年 アメリカ)を見た。この「20世紀名画座」のおかげで,ヒッチコック作品をずいぶん見ることができたのはありがたい。

● 映画って見るべき時期があると思う。というのは,若い頃に「第三の男」だけは見ているのだけども,ほとんど記憶に残っていないんですよね。
 あの頃って,頭に引っぱられて見ていたと思うんですよ。和田誠さんの『お楽しみはこれからだ』なんかを読んで,そうか,映画を見ないとダメなのか,と思ってね。
 旧制高校生がわかりもしないのに哲学書を読むような感じといいましょうかね。勉強のために映画を見るみたいな。

● ところが,20代の自分は呆れるほど幼かったのだと思う。「第三の男」を見ても,その綾を理解することができなかったのだろう。だから,何も記憶に残っていないのだ。
 ヒッチコックを自分なりに楽しめるようになるためには,人生の残り時間がだいぶ少なくなった今を待たなければならなかった。そういうことなのだと思う。
 だから,映画を見る時期としては,今が絶好なのだ。

● ヒッチコックの代名詞といえば,「サスペンス映画の神様」。全編をおおう緊張感。弛みがないというか,なくてもいいシーンがないというか。
 幸いなことに,未見の作品がまだまだたくさんある。DVDをまとめ買いして一気に見るなんてことはしないで,ゆっくりと楽しんでいければと思う。

● この作品ではパラダイン夫人(アリダ・ヴァリ)の得体の知れなさがすべての源泉で,ほんとうに夫を殺したのか,濡れ衣なのかが,最後までわからない。
 使用人のアンドレ(ルイ・ジュールダン)との関係,アンドレの夫への忠誠,パラダイン夫人の過去。それらが絡み合って,こちらをスクリーンに引きつける。

● 作中でしっかり生きているのは,パラダイン夫人やゲイ・キーン(アン・トッド)など,女衆。男どもはどうも上っ面でいかんなぁ。

2018年2月20日火曜日

2018.02.11 宇都宮市立南図書館名作映画会 「シェーン」

宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール

● 「シェーン」は間違いなく学生のときに見ている。当時住んでいた街の名画座で。が,見事に忘れていたね。カラーだったことも。記憶の中では白黒だったんですよ。

● 1953年公開のアメリカ映画。監督はジョージ・スティーヴンス。
 シェーン(アラン・ラッド)が西部の開拓村にやってくる。そこは牧畜派(旧住民)と農業派(新住民)が土地をめぐって対立していた。
 シェーンは新住民の屋敷に身を寄せる。そこには,農業派の中心人物,ジョー・スターレット(ヴァン・ヘフリン)がいた。働き者で侠気に溢れたナイスガイだ。
 その妻マリアン(ジーン・アーサー)と息子のジョーイ(ブランドン・デ・ワイルド)とともに,日々を送ることになる。ジョーイは子どもの目ですぐにシェーンの人的価値を見抜き,懐いていく。
 シェーンとマリアンは互いに惹かれあうが,別に事件が起きるわけではない。が,ジョーはそのことに気づいている。

● 新旧住民の対立がいよいよのっぴきならないことになり,シェーンは旧住民が雇った早撃ちの名手ジャック・ウィルスン(ジャック・パランス)と対峙する。
 早撃ちはシェーンが一枚も二枚も上手だった。あっけなく決着がつく。が,シェーンも傷を負う。このあと,シェーンはスターレット家に戻ることなく,一人で去っていく。そこでジョーイが“シェーン カム・バック!”と叫んで終わる。

● 主役のアラン・ラッド,クールなインテリといった風情なんだけど,細マッチョなのかね。ちゃんとのっぴきならない恋愛模様もあるわけで,娯楽映画の王道を行く。
 展開もスリリングで,何度見ても見飽きない映画だと思った。

宇都宮市立南図書館
● ところで,この映画は市で行っているものだから無料だ。なんだけど,南図書館まで往復すると,電車賃が640円かかる。DVDを買ってしまった方が安い。
 が,家で一人で見れるほどに,ぼくは映画好きではないようだ。移動時間を買うという感覚もあってね。移動にはそれ自体,価値がある。小さな移動でも。

2018.02.10 宇都宮市民プラザ ウィークエンドシネマ 「嵐が丘」

宇都宮市民プラザ 多目的ホール

● 1939年のアメリカ映画。監督はウィリアム・ワイラー。キャシー(マール・オベロン)とヒースクリフ(ローレンス・オリヴィエ)の恋物語。
 オベロンとオリヴィエが反目しあっていて,撮影はなかなか大変だったとは,Wikipediaから得た豆知識。

● エミリー・ブロンテの原作は読んだことがないんだけど,「嵐が丘」ってハーレクイン・ロマンスの1冊なのかい?
 というのは,キャシーもヒースクリフも大人になりきれてないんだよね。いうなら,大人になれない中年男女の純愛物語といった感じなんだよ。特にキャシーは二重人格的なところがあって,物語の展開がわりと御都合主義だと思ってしまった。
 まぁ,原作と映画とでは,微妙に違うのが常だろう。細部が違うと受ける印象はけっこう違ってくるものだとは思うんだが。

● しかも,2人が純愛を貫くおかげで,周りの人は不幸になっていくんだよね。そうまでして貫かなければならない愛なんて,あっていいのかと思うよ。
 それでも若いときにはやってしまうことがある。でも,いい年こいてもなおっていうのはなぁ。

● ま,これは映画の世界の話。リアルにはないことがあるから映画なのだ。そうなのだと思うことにする。
 が,もう一度見たいかと問われれば,一度で充分というのがぼくの答え。