宇都宮市立東図書館 2階集会室
● 今回も小津作品。1936(昭和11)年公開。
信州の生糸工場で働きながら女手ひとつで息子(良助:葉山正雄)を育てている母親(おつね:飯田蝶子)。その息子が成績優秀。担任の大久保先生(笠智衆)は上の学校に行かせたいと思っているし,良助もそう思っている。
が,おつねにすれば,そんなのは経済的に論外である。しかし,先生の説得(これからの時代は「学問」ですからなぁ)もあり,亡き夫が残した屋敷を売ってでも,良助に「学問」をさせようと決心する。
● 「学問」が実利を生んだ時代があったのだなぁ。勉強や学歴に希少価値があった時代。希少だから価値があった。ほとんどの人は,学問など関係のないところで,日々の体験を元に生きていた。だからこそ,「学問」をつけることに意味というか実利があったわけだろう。
大久保先生自身,田舎の教師を辞めて,東京に出てさらに勉強しようとする。向学心に燃えているというより,出世欲みたいなものだったのだろう。今の価値観で測って,だからダメだというのはよろしくないのだが。
● しかし,時代は厳しかった。おそらく昭和恐慌が舞台だろうか。せっかく東京の大学を出ても,良助(日守新一)は夜学の高校の教師にしかなれていない。薄給で暮らしはカツカツだ。
上京したおつねに,良助は成功している自分を見せようとするのだが,結局は馬脚を現すことになる。あの大久保先生も売れないとんかつ屋に身をやつしていた。
帰郷したおつねは,友人に苦しげに良助のことを語る。自分の苦労は報われなかった。
● 後の「東京物語」を思いだす。「東京物語」ほど救いのない結末ではない。したがって,「東京物語」の原節子にあたる天使の登場も要しない。
救いはある。良助は母親をもてなそうと全力を尽くし,妻の杉子(坪内美子)もよく献身する。それは見栄かもしれないし,時代が強制するものなのかもしれないけれども,ともかくそういう息子に育ってくれたのだ。いい嫁を引きあてたのだ。
● 逆に辛いシーンもある。最後に良助はもう一度勉強して,もっといい職に就けるように頑張るよ,と杉子(と信州に帰った母親)に宣言するのだが,おそらく虚しい努力になるだろうと思わせる。厳しい時代状況に対するに,そういう上品な対応ではたぶん無力だろうな,と。
インテリは修羅場に弱いというのがテーマなのかといえば,もちろんそうではない。しかし,良助がおつねに,東京になんか出ないで田舎で暮らしたかったと打ち明けるシーンでは,もしそうしていれば,何で東京に出してくれなかったのだ,と言うに違いあるまい,と観客は思うだろう。ぼくは思った。その弱さがなぁ,と。
● 昭和恐慌はひとしなみに個人を押し流したのだろうな。青雲の志も,ささやかな家庭の営みも。
そして10年後には太平洋戦争が始まり,東京は焼け野原になるのだ。