● 1949年の小津安二郎作品。2010年12月に鹿沼市民文化センターの名作映画会で見ている。今回が2回目。
と思っていたんだけど,2010年12月には見ていないのだった。いつどこで見たんだ?
● 父親(笠智衆)と娘(原節子)の交流。母親は早くに亡くなっているのだろう,ずっと娘が父親の世話をしてきた。
娘は父親が自分の母親以外の女性と再婚することを不潔だと感じているらしい。娘が中学生や高校生ならばそれもわかるんだけど,劇中の娘は27歳だ。27歳でそのように考えるのは,少しくあり得ないように思われる。
● 娘が「おもらいになるの? おもらいになるのね? 奥さん」と父親に迫るところがある。これなんか恋人に対するがごとくだ。
父と娘の間に,夫婦に似た情感が通うことがあるのだろうと思うほかはない。ぼくには娘がいないので,どうにもここは雲を掴むような話になるのだが。
● ともかく。自分は再婚するからおまえも嫁に行け,自分の面倒をみている必要はない,と娘に嘘をつき,娘を縁づける。
その間の笠智衆の演技はじつにどうも淡々としたもので,力みやわざとらしさは1ミリも見られない。ずっとポーカーフェイスだ。役者の存在感は薄ければ薄いほどよいと考えているのか。
● 娘が嫁いだ日。式が終わって,自宅に戻り,来客もすべて去って,一人になったとき。
リンゴの皮を剥いていた父親が突然うなだれて,リンゴを取り落とす。ここでこの映画は終わるんだけれども,ずっとポーカーフェイスでいたのは,このシーンのためだったかと思わせる。
この演技だけが唯一,父親が娘と離れる辛さ,寂しさを抑えに抑えた動作で表現したところだった。
● 昨日は「東京物語」を上映したようだ。南図書館でも26日に「晩春」と「東京物語」を上映する。何度見てもいい映画だ。けれども,貪るのはよろしくないでしょうね。
アマゾンを見ると,DVDが500円で買える。そういう時代なんだな。フィルムを一人占めして,自分専用にするなんて考えられない贅沢だった。それがデジタル化のおかげで(それと,著作権が切れたおかげで)現実のものになったわけだけれども,そうなってみると,そんなものは贅沢でも何でもなく,ただの寂しい行為に過ぎないことがわかった。
この演技だけが唯一,父親が娘と離れる辛さ,寂しさを抑えに抑えた動作で表現したところだった。
● 昨日は「東京物語」を上映したようだ。南図書館でも26日に「晩春」と「東京物語」を上映する。何度見てもいい映画だ。けれども,貪るのはよろしくないでしょうね。
アマゾンを見ると,DVDが500円で買える。そういう時代なんだな。フィルムを一人占めして,自分専用にするなんて考えられない贅沢だった。それがデジタル化のおかげで(それと,著作権が切れたおかげで)現実のものになったわけだけれども,そうなってみると,そんなものは贅沢でも何でもなく,ただの寂しい行為に過ぎないことがわかった。