TOHO CINEMAS 宇都宮
● そうです,木村拓哉主演「無限の住人」の今日が封切り日なのですよ。今日中に観るぞ,と思っていた。
自分はまだ観てないのにすでに観た人がいる,という日が1日でもあるのは,我慢できん。そう,今日のうちに見るのだ,ゼッテー。
● というわけで,今日最後のレイトショーにはなったけれども,観てきましたよ。「武士の一分」もそうだったし,「SPACE BATTLESHIP ヤマト」も封切日に見たんだったかな。
● 主演が木村拓哉となれば,ある程度の売上げは最初から見込めるというか,話題性には事欠かないから,いくつかの雑誌がこの「無限の住人」についての木村君のインタビューを記事にしている。
それらの多くをぼくは読んでしまっていて(→たとえば,こちら),観る前から半ば観たような気分になっていた。
● 原作は沙村広明さんの同名の漫画。監督は三池崇史。
● この映画の特徴をいえば,全編がクライマックスの連続で,息を抜けるところがないということ。
もうひとつは,殺陣の迫力だ。本当に斬りあっているようなリアルさ。編集だとかカット割りだとか,そういうものでこの迫力は出ないはずで,これで怪我人が出なかったとすれば,そっちの方が不思議だ。
● 特に冒頭の斬りあいは迫力満点だった。「FLIX 6月号」で木村君が「(妹の町が殺されるシーンは)本編の中では冒頭にあたるんですが,実は僕のクランクアップのシーンで。(中略)あのシーンに限っては手を決めないでやろうとなりました。“とにかくこっちは殺しに行くので,それに対して反応してください”と言われて,“分かりました”と」と語っているところだ。
たしかに,これはそうでなければ出ないリアルさではないかと思った。
● 凜(杉咲花)が自分が死んだ万次の妹に似ていることを知って,万治にニイチャンと呼びかけるシーンが一度ならずある。
最後の最後,死ねない身体にされたさしもの万次も息絶えそうになったとき,凜がニイチャンと言葉を絞りだす。それに対して,虫の息の万次が「それを言うならニイサマだろ・・・・・・バカッ」と答える。
そのときの「・・・・・・バカッ」は木村拓哉にしかできない演技だったのではないか。この最後のシーンも印象的だ。
● 要するに,観る側もかなり疲れることになる。もちろん,心地よい疲れだ。
ま,レイトショーだったので,終わったのは0時を回っていた。それも疲れを感じた理由かもしれないというオチが付くのではあるけれど。
● 杉咲花が大健闘。木村君も新たな地平を開いたという手応えを感じているのではないだろうか。
この春一番の楽しみが,こうして終わってしまった。
宇都宮市立東図書館 2階集会室
● 前半はエミール・ゾラの出世物語だけれども,丹念に描いているわけではない。メインは後半の“ドレフュス事件”。これがこの映画の見どころだということに,異論を唱える人はいないだろう。
1937年のアメリカ映画。1937年といえば昭和12年。当時の日本では逆立ちしても作り得ない映画だったろう。
ま,今でもハリウッド映画を日本で制作するのは無理だろうけどさ。
● ゾラを演じたのはポール・ムニ。Wikipediaによれば,「物語とは逆の順序で撮影がされたので,ポール・ムニは役柄のために顎ひげを伸ばし,撮影期間がたつにつれ顎ひげを短くし,色を黒く染めていって撮影に望んだ。彼のメイクアップの時間は,毎朝3時間半かかったという」ことだ。
メイクアップであそこまで若くなれるのか。大昔から映画界のメイクの技術はすごかったのだ。
● ドレフュスを演じたのはジョセフ・シルドクラウト。存在感があった。ドレフュス夫人のゲイル・ソンダガードとゾラの奥さん役のグロリア・ホールデンの両女優にも注目。
それと,フランス陸軍上層部の,まぁ保身というのだろうか,組織防衛というのだろうか,愚かな振る舞いをいかにもありそうなことだと思わせる描き方が出色。ここは,監督ウィリアム・ディターレの功績。
● ハッピーエンドで終わるので,見終えた後はスッキリと気持ちがいい。良かったねぇ,となる。
● 以下は余談。
この「20世紀名画座」を主催しているのは,“宇都宮市立視聴覚ライブラリー”なんだけど,「20世紀名画座」の他に,同じ東図書館で「日本映画劇場」というのも催行している(つまり,「20世紀名画座」の方は洋画)。どちらも月に一度。
昨年度までは「日本映画劇場」が金曜日,「20世紀名画座」が土曜日だった。いずれも午前と午後,2回の上映。
ところが,金曜日だと普通に仕事をしている人はまず行けない。なんで金・土なのか,土・日にすればいいではないかと思っていた。
が,今年度から,金・土はそのままだけれども,午前に「日本映画劇場」で午後に「20世紀名画座」を上映するように変更した。金・土の2日間,同じ映画を上映する。
というわけで,これからは土曜日に2本の映画を見ることができる。その間,2時間ほど空くんだけど,そこは図書館だからね,雑誌なんぞを見てればいい。退屈することはない。
しかも,「日本映画劇場」では来年1月から3月まで小津作品が上映される。原節子主演じゃないやつで,ぼくはまだ見たことがないものだ。楽しみだ。
● 昨年10月公開の福山雅治の主演映画。TOHO CINEMASで見るつもりが,結局,見逃すハメになった。
ぜひとも見たい映画ならば,見逃すなどというチョンボをすることはないと思うので,見たい度合いがさほどでもなかったのかもしれない。
● 興行的には残念ながら,予想を下回る結果に終わったようだ。あまり話題になることもなかったようだ。
でも,面白い映画だった。けっこうズシンと来るので,すぐに二度目を見るのは無理だけれど,間をおけば二度目もありだなと思った。
● 福山雅治演じる都城静は,かつてはスターカメラマン。それがどういう理由かはわからないけれど,今は「芸能スキャンダル専門の中年パパラッチ」になっている。借金と酒と風俗にまみれた自堕落な生活を送っている。
のべつ煙草を吸い,風俗話を連発する汚い中年男という設定。
● とはいっても,そこは福山雅治が演じるんだから,どこかに爽やかさを漂わせているのだろうと思った。
が,これがそうでもない。そこは見事に演じていたというべきか。
● 不思議なのは,写真週刊誌「SCOOP!」の副編集長を務める,吉田羊演じる横川定子。都城とは夫婦だったという設定。元夫に貞子は思いを残している。発注主として都城を優遇しているようでもある。時々,都城の住処を尋ねて,世話もやいている。
都城は貞子にも風俗の話をしているわけで,それでもなお貞子が都城を見限らないでいるのは,都城のカメラマンとしての腕を信頼しているということなんだろうけど,こんな女神のような女性はいないよね。
● こうなると,いよいよ都城に何があったのかが気になるわけだけれども,そこはあまり触れられない。
そういうものだという前提でストーリーは進む。
● それと貞子についてもう一点。徹夜も日常茶飯事の写真週刊誌の編集部にいるのに,いつでもビシッとメイクが決まっている。
これもあり得ないと存ずる。ま,映画だから。女優さんだから。
● 貞子の差配で都城とコンビを組むことになった野火(二階堂ふみ)。最も印象に残ったのは,都城にだんだん惹かれていって,彼とHをするときの表情のセクシーさ。
もっとも,これは女優としては初歩的な演技なのかもしれないね。これができないようじゃ話にならないのかも。
● でね,こういう若い子を惹きつける男が,汚いだけの中年男のはずがないんだよね。
仕事への一途さとか,何がしかの人間としての深みとか,そういうものを持っている。で,そのような人間として都城は描かれている。
● 多くの人はチャラ源を演じたリリー・フランキーを褒めるのではないかと思う。ので,ここで異論を立てておく。
チャラ源を成立させたのは,福山が主役をきっちりと演じていたからで,それがあって初めてリリー・フランキーの“チャカ”を持ったラリっている演技が光るのだ。
● 福山さんにとってはこれまでにない役柄で,自分のイメージを大きく拡げる恰好の機会になった。本人も期するものがあっただろう。
が,作品が彼に期待するものと,観客が彼に期待するものとの間に,少しのズレがあったかもしれない。難しいものだ。
● ところで。今回は劇場で見たわけではなく,自宅で見た。
ぼくは,こっちの方面にまったく疎くて,DVDのレンタルといえば今でもお店に行って現物のDVDを借りてくるものだと思っていた。2泊3日とか7泊8日とか。
今は動画配信サービスというのがあるんですなぁ。ネットを介して動画を端末で見ることができる。配信されてから1ヵ月以内の2日間とか。
それを過ぎると自動的に見られなくなる。返し忘れて延滞金が発生する心配もない。便利なことになっていたんですねぇ。
東京都写真美術館ホール
● 恵比寿の東京都写真美術館のホールで,草間彌生を追ったドキュメンタリー映画「草間彌生 わたし大好き」が再上映されると知ったので,今日,見てきた。13時から。チケットは1,500円。
天気が生憎の(と言いたくなるね,どうしても)雨。桜の時期は雨の日が多いよなぁ。
● 草間さん,絵のほかに詩も書くんですね。で,自分の作品を見て,こんなすごいの見たことない,と言う。昔から自分は天才だと思っていた,今以上に,とも。
そうでなければ芸術家としてやっていけないよ,ってこと。
● 他者の作品を見ることはあまりないらしい。自分の作品以外に興味を向けない。と,本人は語るんだけど,実際はどうなんだろう。
いや,実際もそうなんでしょうね。これだけ創作に打ちこんでいたら,人の作品を見ている暇はない。
自分の内側にあるものを外部化するのが創作だとすると,それくらいじゃないと創作なんかできないのかもしれない。
このあたりは,創作からはるかに遠い位置にいる自分には想像することもままならないんだけどさ。
● でも,若いときは違ったはずだよね。自分の内側に発酵の素になるものを溜めなければいけなかったはずだから。
彼女は若い時期をアメリカで過ごした。今の彼女の作品がワールドワイドなのはそれも一因かもしれない。
と,思わず書いてしまった。そう考えるとわかりやすいからだ。けど,それも違うんだろうね。そんな単純は話じゃないんだろう。
● 真っ白なキャンバスに,マジックでためらうことなく最初の線を引く。
書いているときは無心。その無心の状態で,何をどう書くか,そのアイディアが次々に湧いてくる,と言う。
● 幼少の頃は,過酷な家庭環境で育った。しかし,それは“前衛芸術家”としての現在の彼女を作りあげるうえでは,あまり関係ないのだろうと思えた。
● 90歳近い年齢になる。が,創作の質はまったく落ちていないようだ。そういう例は,ピカソと草間彌生だけではないか。
ただし,ぼくには彼女の作品を評する術がない。自分の脳が勝手に使いだす鑑賞方法論は非常に狭いもので,彼女が相当なスピードで生みだす作品を捉える幅に欠けている。
● こういう人に密着して映像を撮るのは,撮る方も大変でしょうね。ときどき,草間さんにカメラマンが叱られていたけれど,実際には,そういう場面はもっとあったんだろうから。
それを敢えてやるというのは,撮る側が草間さんに心酔しているからだろうか。
● ただ,ちょっと気になったところがあって。カメラマンが草間さんに質問をするところが何度かあるんだよ。その質問が,何というか,つまらない質問なんだよ。「先生にとって○○とは何ですか」みたいな。
気難しい人なら,質問のつまらなさに腹を立てるかもしれないよ。