● 今日はAmazonプライム会員になって3年目が満了する日でもある。プライム会員になったのはプライムビデオを見るためだが,3年目の1年間で見たのは,19日の時点で196本。
数字にこだわることもあるまいが,196まで来ているのだったらあと4本見ておきたい。で,昨日,今日と2本ずつ見て,200本に到達した。3年通算だと623本。
● 数を見りゃいいという話ではない。が,4,900円の年会費で200本の映画を見ることができれば,Amazon様々だ。
この1年間でいえば「007」の全作を見ることができた。思いの一端を遂げることができたというわけだ。
● こちらからショップに出向くのではなく,向こうから来てくれる。延滞料金が発生する余地もない。パッケージを介さず中身だけがやってくるから,見終えた後にブツが一切残らないのも,清々しいほど気持ちがいい。
こういうのを寂しいと思う人もいるんだろうか。ぼくはこの形を理想とする。見たいのはコンテンツなのだ。コンテンツが載っているテープやディスクは,言ってみれば必要悪というものだった。
インターネットのおかげでコンテンツだけを受け取れるようになった。デジタル化の恩恵だ。
● しかも,Amazonプライムで見ることのできる映画は,和洋のいわゆる往年の名画から1年前の映画まで,ほとんど無尽蔵だ。Amazonは邦画が手薄だと言われるようだけれども,ぼくには充分だ。
Amazonプライムさえあれば老後の不安はないとまでは言わないけれども,これがあるのとないのとではだいぶ違う。
● 四半世紀前の老人は気の毒だ。インターネットがなかったのだから。今はインターネットは絶対のインフラだ。
Windows95が画期になったに違いないが,それからずっとインターネットは懐疑的に語られることが多かった。しかし,いつの間にか今のような状況になっていた。
最も気の毒だと思うのは,ぼくより10年ほど早く定年を迎えて退職していった人たち(の一部)だ。彼らは定年近くなってから職場で1人1台のイントラネットにつながったパソコンを配置された。
そこでしっかりパソコンとネットに馴染んでおけば,ネットを自家薬籠中のものにして,退職後の暮らしにインターネットを位置づけることができたはずなのに,パソコンの操作から逃げ回って,しかも逃げおおせることができてしまった。絶対のインフラを自ら遮断したようなものだ。
● あとはどういう機材で見るかという問題だ。現在は14インチ画面のノートパソコンで見ている。Amazonプライムを見るために,パソコンはデスクトップに替えようと思ったこともあったけれど,現在のノートパソコンでほぼ満足している。
テレビにつなぐことも考えた。テレビにサウンドバーをかませてやれば,音声も映画館に近づくのではないか。が,考えただけで実行には至っていない。面倒だからだ。パソコンをテレビに接続するというひと手間が面倒で,逆に見なくなりそうな気もする。
インターネットテレビに買い替えてサウンドバーをかませれば問題は解決するのだが,そこまでやるかという話。相方もネットで動画を見ているから,それをやるとなるとインターネットテレビも2台必要になる。そこまでする気力はない。
● 結局,映画館の環境を範とするのは間違いだと思う。自宅で1人で見るというのは,映画館的視聴環境を捨てる(諦める)ということでもある。
ノートパソコンで良しとする,という結論に至っている。