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藤原道長と紫式部が男女の関係にあり,光源氏は紫式部が作りだした道長の投影という設定。光源氏が道長の化身である以上,「紫式部が道長を想い続ける限りいつまでも,物語の中で苦しい愛の日々を生き続け」なければならない。
● したがって,光源氏(生田斗真)の話は劇中劇となる。藤原道長(東山紀之)と紫式部(中谷美紀)の話が劇で,その劇世界の中の劇として光源氏の話が進んでいく。
● 劇中劇の中で,最も印象に残るのは田中麗奈の六条御息所。怨霊となって,光源氏の寵愛を受けている夕顔(芦名星)や葵の上(多部未華子)を祟り殺していく。
絵にしやすいだろうし,誰が演じても観てる人の印象に残りやすいだろう。その意味において田中麗奈でなくてもよかったのかもしれないが,いややっぱり田中麗奈でなくては,とも思わせる。
● その六条御息所も「何とあさましい」と自分を恥じて,都を離れ,伊勢に下る決心をする。葵の上も藤壺中宮(真木よう子)も,命を賭した決心と行動で局面を変えていく。
一方,光源氏は母の愛を知らずに育ったという同情の余地(?)を残しつつも,大人になることを拒否しているピーターパンであり,一個のモラトリアム人間に過ぎない。“自分探し” にうつつを抜かしている若者と同じだ。「何をしても許される」ことを武器にしている分だけ,タチが悪い。
● 藤原道長と紫式部も同じ関係。男は何をしても遊んでるだけ。実を作っているのは女。
そういうことを訴えている映画として,ぼくは観たんだけど。