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● 10日に「ハロウィンの花嫁」まで見てしまったので,コナンはもう見るものがない。TVシリーズにまで手を広げるつもりはないので。
ちょっとエアポケットに入った感じ。今日からはAmazonプライムで何を見ていけばいいだろう。
● で,「ゴジラ」(1954年)を見た。諸々の話題になった映画の起点がこれ。伊福部昭の音楽も含めて,こういう映画だったのかと初めて知ることになった。
チラシはカラーだけれども,映画はモノクロ。
● 戦後10年でこの映画は作られたんですねぇ。ぼくがゴジラというものを知ったのは,さらにその10年後になる。
どういう知り方だったかというと,ゴジラ対ガメラ,ゴジラ対キングギドラ,ゴジラ対ガメラ対モスラ,といった怪獣の戦いを通してだ。南海の大決闘とかね。
少年漫画誌でそうした映画を紹介していた。当時,最も人気がある記事だったろう。
● 田舎の子供に実際の映画を見る機会はなかった。が,一番強いのはやっぱりゴジラだよねとか,ガメラは弱いんだよとか,田舎の男の子は話していたものだった。
ぼくはわら半紙を閉じた手製のノートに,怪獣たちの身長,体重,武器(得意わざ)を表に作ったことがある。何の役にも立たない作業に没頭した。
● 「ゴジラ」は当時の自分に見せてやりたかったが,違和感も感じる。ゴジラが現れて東京はほとんど破壊されるのだが,大衆はいたってノンビリしている。殺気立たない。時間はゆっくりと流れている。
若い男女は歌を歌っていたり,酒肴に興じていたりする。宝田明演じる尾形は,山根恵美子(河内桃子)と恋仲で,お父さんにどう伝えようかと2人で話し会ったりしている。ゴジラが暴れているというのに,だ。
この時期の日本人の辞書には「緊迫」という文字はないようなのだ。
● いよいよとなってからワラワラと逃げ惑うのだけれども,あろうことかゴジラの進行方向に向かって逃げていく。
かと思えば,政府はゴジラを殺すことばかり考えていてゴジラを研究しようとしない,と研究至上主義を唱える学者が出る始末だ。この状態でどうやって研究するというのだ? 研究している間に,ゴジラに喰われて死んでしまうぞ。
● 俳優の演技も今とはだいぶ違う。ありていに申さば,今の俳優の方がずっと上手いという印象になる。今の俳優は作りもの感が少ない演技をする。
演技の様式というか文法というか,沿うべきガイドラインが今とは違っていたんだろうかな。演技していますという演技だ。
● 「戦後の日本映画界に特撮怪獣映画というジャンルを築いた,記念すべきゴジラ映画第1作」で「核の恐怖を描いた,本多猪四郎の真摯な本編ドラマと,円谷英二のリアリズム溢れる特撮演出が絶妙のコンビネーションを見せ,「ゴジラ」の名を一躍世界に轟かせた傑作」というのが一般的な評価なのだろう。
けれども,「特撮演出」はそのとおりだとしても,「真摯な本編ドラマ」の方は失敗してるんじゃないかと思った。当時は,これで説得力を持ち得たんだろうか。
● ゴジラの叫び声は古い鉄製の扉が開く(あるいは閉まる)ときのギーッという音のようだ。
この音はどうやって作っているのだろうと推測する楽しみもあるかもしれない。
● 音楽は,誰もが知っているとおり,伊福部昭が担当。劇中で歌われる「平和への祈り」も伊福部が作曲。
桐朋学園(当時は女子校だった)が全面協力し,「大講堂に在校生2,000余名が集められての斉唱が行われた。録音,練習において作曲者の伊福部が自らタクトを振った」とのことだ。
2,000余名というのは200余名の間違いじゃないかと思ったんだけども,劇中のシーンを見ると200余名よりはるかに多そうだ。この頃は若者が雲霞のごとくいたんだな。
● しかし,このシーンも映画の展開,流れを止めてしまっているように感じる。
展開や流れよりも,大事にしたかったことが他にあったということだろう。