老人会が出張してきたのかと思うほど,爺さんと婆さんしか集まらないのだが,自分ひとりではなく大勢で同じ映画を見るというのは,映画の見方として相応しいとも思っていた。
現在の映画館に比べればささやかではあるけれども,一応,大きなスクリーンで見ることができる。
が,ぼくは復帰していない。Amazonプライムで見るようにしたからだ。自由度が甚だしく違う。Amazonプライムなら自宅で,見たい映画を,見たいときに,見ることができる。途中で画面をとめて,休憩を入れながら見ることができる。
移動コスト(電車賃と時間)がかからない。前の人の頭が邪魔になることもない。
● 「日本映画劇場」で上映する日本の古い映画はAmazonプライムにないものがけっこうありそうなのだが,「20世紀名画座」の方はほぼAmazonプライムで見ることができる。
ぼくはノートパソコンの画面で見ているので,視聴環境は貧弱なのだが(それでも14インチ画面),昔の映画館を知っている者にとっては耐え難いほどに貧弱ということではない。音響もしかりだ。
● 昭和の御代には名画座というものがあった。普通の映画館よりも安い値段で,たいていは3本立て入れ替えなしで,往年の映画を上映していた。
その頃,映画は斜陽と言われていたが,シネコンの登場で,映画界も活気を取り戻したように見受けられる。環境は画期的に快適なものになった。一回ごとに完全入れ替えだから,映画館を仮眠室の代わりに使う人もいなくなった。映画を見るための施設としては純化されたし,健全化されたと言ってもいいかもしれない。
● が,名画座はこれでとどめを刺されたように思う。2本立て,3本立てがなくなったこと。二度繰り返して見ることもできなくなったこと。
名画座に行く人というのはある種のオタク気質があったように思う。自分に無茶振りをする。その無茶振りが許されなくなったとあっては,足は遠のく。
まぁ,しかし,昭和も50年代に入ると,名画座の多くは赤字だったのではないかと思う。観客はだいぶ少なくなっていたのではなかったか。
● ビデオ再生装置が家庭に普及しだすのは昭和55年頃だったと記憶する。テレビにつなぐことによって家庭で映画を見ることができるようになった。VHSビデオテープのレンタルショップも生まれた。シネコンの登場前から名画座は風前の灯だったわけだ。
現在ではデジタル化されて,著作権が切れたDVDが安く手に入る。名画座にかかっていたような映画のDVDは公共図書館にもある。パソコンがあればタダで見ることができるようになっている。
● そこに来て,Amazonプライムのような定額制の配信サービスが登場したとあっては,公共機関の上映サービスもいつまで続くかわからない。
現時点では年寄りたちが集まってきてくれるが,これから年寄りになる人はパソコンもスマホも普通に使える。年寄りもネットに違和感がない人たちばかりになる。
● 名画座という箱はなくなっても,往年の映画を見るためのアクセスは格段に良くなっている。時に名画座がなくなったことを嘆く人がいるのだが,名画座はなくなっても名画を視聴する環境はかえって向上している。
ここをクサすとすれば,パソコンの小さな画面で見ても見たことにはならないよ,という言い方を持ってくるしかないだろう。それは半ばは正しいかもしれないのだが,今のパソコンをなめるなよという反論もまた,充分に可能だろう。