DVD(デジタルリマスター修復版)
● 「晩春」は二度見ているが,「早春」(1956年)は見る機会を得ていなかったので,今回,DVDで。
ウィキペディア教授によると,「東宝のスター俳優池部良と淡島千景を主演に,『君の名は』で一躍松竹の看板女優となった岸惠子を迎えて新味を出した作品」で「池部と岸にとっては唯一出演した小津作品であり,同じようなキャストを使い続けた小津にとっては異例であった」とのこと。
● 上記の3人の他に,高橋貞二,笠智衆,山村聡,杉村春子,浦邊粂子,三宅邦子,東野英治郎,中北千枝子など。淡島千景が終始,凛としていて,かっこいい。
淡島千景が演じた昌子の母親役が浦邊粂子。彼女の演技も印象に残る。男なんてそんなものと娘を諭す。状況はすべて飲み込んだうえで,とぼけてみせる。“鈍感力” を発揮せよと娘にも言う。
この達観は苦労人のもの。その辺の湛え方というか,外側へこぼす度合いが絶妙。脚本がそうなっているからというだけではないと思う。
● そして,笠智衆。小津映画には必ず登場する俳優。
「東京物語」はこの映画の3年前。そこで完璧に老け役を演じておいて,ここでは現役のサラリーマンの役。「東京物語」のときはまだ40代だった。
老け役ができる人は若い役もこなせるのかもしれない。劇中の役の話とはいえ,タイムマシンで時空を自由に動き回れるがごとし。
● DVDのパッケージの解説文には,「徹底して硬質な演技に終止する淡島千景と,自分の思いに任せて行動する千代に扮した岸惠子との静と動のヒロイン像が,どちらにもなびけない池部良の男の虚しさを浮かび上がらせている」とあるが,“男の虚しさ” を見る人はそんなに多くはないかもしれない。ぼくも虚しさは感じなかった。
千代になびいてしまうわけにはいかないわけでね。池部良の正二が択った態度はこれしかないというもので,別に虚しいわけではない。
● 「小津はサイレント時代からサラリーマンの悲哀を何度も描いてきたが,ここでの正二や仲間のように,一様に将来を悲観した救いのなさに集約させたのは珍しい」ともある。が,この映画で描かれているサラリーマンたちに,救いのなさは感じなかった。
劇中の人物たちがそういう話をするシーンは何度か出てくるのだが,彼らがどこまで本気でそう思っているのか。のんびりした時間が流れていて,今のサラリーマンたちは羨ましいと思うに違いない。古き良き時代があったのだなぁ,と。
● かつ,この頃のサラリーマンは言うならエリートだ。就労者全体に占める割合は小さかった。サラリーマンは庶民の憧れだったし,なりたい職業だった。大学まで行ってサラリーマンになることが,文字どおりの夢として語られる時代だったはずだ。
劇中でお客が来るからと肉(たぶん牛肉)を買いに行こうとする場面があるのだけれども,この当時,日本の大半は田舎であり,ごく稀にであっても牛肉を食べられる家庭は,田舎にはほんの僅かしか存在しなかったはずだ。肉を食べることができたのはサラリーマンであればこそ。
● そのサラリーマンたちの飲み会の場面が何度も出てくるのだが,この頃のサラリーマンは飲みながらみんなで歌を歌っていたのかね。これだけはちょっと勘弁して欲しいぞ。
カラオケなんてものはなかったから,流しのギター弾きに合わせて歌うか(ギターが歌に合わせてくれたはずだが),みんなで箸で器を叩きながら歌ったんだろうかね。そもそも歌うという行為がもてはやされていた時代だったのかね。
歌声喫茶というのもあったらしいもんね。「客全員が歌う(合唱)ことを想定した喫茶店で」「1955年前後の東京など日本の都市部で流行し,1970年代までに衰退した」ようなのだが。