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「麦秋」(1972年)を見るのは二度目になる。2010年12月に「第2回鹿沼市民文化センター名作映画祭」で見て以来。
● 見たことだけ憶えているが,内容はほぼ完全に忘却の彼方。忘れるというのは福音であるかもしれない。
忘れればこそ,日々新たも成り立つのだろう。過去を完全に憶えていたら,かなりの修行を積んた高僧といえども,日々新を実践するのは困難ではないか。
● 劇中の紀子(原節子)は丸の内に社屋を構える会社の専務秘書という設定。英文タイプライターを操る。当時は珍しかった大卒女子であるのかもしれない。
実家は北鎌倉にあって(由比ヶ浜も何度か映像に使われている),北鎌倉から東京まで電車通勤をしている。
● 「晩春」では父と娘の関係だった笠智衆とは,本作では兄妹。「東京物語」では東山千栄子と笠智衆が夫婦だったが,本作では親子になっている。実年齢からすれば親子の方が自然かもしれない。
「晩春」では父の恋人と思い込んだ女性に紀子がガンをつけるシーンがあるのだが,その女性を演じた三宅邦子が,本作では紀子の兄嫁。
他に,淡島千景,杉村春子,高橋豊子など,小津映画ではおなじみの面々が,安定した演技で画面を整えている。
● ウィキペディア教授の解説によると,「小津自身は,本作において「ストーリーそのものより,もっと深い《輪廻》というか《無常》というか,そういうものを描きたいと思った」と発言しており,小津とともに脚本を担当した野田高梧は「彼女(紀子)を中心にして家族全体の動きを書きたかった。あの老夫婦もかつては若く生きていた。(中略)今に子供たちにもこんな時代がめぐって来るだろう。そういう人生輪廻みたいなものが漫然とでも感じられればいいと思った」と語っている」らしい。
しかし,この映画を見て輪廻や無常を感じられる感性を持つ人は少ないかもしれない。ぼくはそうしたものを感じることはなかった。
● では何を感じたのかと問われれば,たとえば原節子と淡島千景のやり取りのテンポの良さに快を感じていた。
映画はすべて娯楽映画として見ようとする癖があって,娯楽的な要素を探そうとして見ているのだと思う。