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ので,今日は「恋は雨上がりのように」(2018年)。一度見ている。これが二度目。
● 細部はもちろん,けっこう幹の部分も忘れているものだ。見終えたら速やかに忘れるのが人間の脳の普通だ。本だって読むそばから忘れていく。
だから,見るのも読むのも無駄かといえば,そんなことのあるはずがない。憶えていることが大事なのではなくて,見ているとき,読んでいるときに楽しければそれでいいとしたものだ。
見るという体験,読むという体験そのものが本質なのであって,その後のことは,言ってしまえばどうだってよろしい。
● 見たことや読んだことをその後に活かすという発想は,あまり持たない方がよろしいだろう。“見る” や “読む” を何かの手段と考えては損をする。
逆に言えば,いくら“見る” や “読む” を繰り返したところで,賢くはならないものだと諦めることも必要だ。
● 忘れていた幹の部分はいくらもあるんだけども,そのひとつは山本舞香が出ていたのを完璧に忘れていたことだ。あきら(小松菜奈)が陸上に復帰する大きなきっかけを作る役どころ。
大泉洋はあきらに好意を寄せられるファミレスの店長の役。文学青年を引きずりながらも,仕事には誠実に向き合っている。人をよく見てもいる。寄り添う姿勢もできている。
● しかも,あきらに対しては大人の態度を崩さない。ぼくならまるで自信がないけどね。
あきらほどの女性に言い寄られたらね。たとえ,彼女が高校2年生だとしてもさ。
● 中年以上の男性がこの映画を見ると,まだまだ諦めることはないぞ,というエールとして受けとめてしまうかもしれないね。
世のロートル男性の大半は「店長」のようには生きていないけどね。まぁ,それでいいんだろうけどさ。現実を生きるってのは映画のようには行かないよね。