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よくわからないのだが,これっていうのは監督がピッチャーで4番打者の野球チームのようなものか。なら,上手く行くわけがないだろう。
野球のアナロジーで捉えてしまうのは間違いなんだろうけどね。
● 舞台はミャンマー。ミャンマーの軍人が悪役になっている。ロケはタイ北部で行われたらしい。
● どうも後味が悪い。理由はミャンマー軍人の描き方。たぶん,彼らはこうじゃないんだよね。いや,これは映画なんだからってことなんだけども,それにしても。
彼らの残虐ぶりはむしろ欧米的だと思われる。制作側が自分たちの性格・性質を投影させているだけで,アジア人をこういうふうに描いてはいけないような気がする。
しかし,観客もアメリカ人であることを想定しているんだろうから,わかりやすくしようとすれば,こうなるしかないのかねぇ。
● ここでのランボーはもはやランボーではない。単なる戦闘マシーンになってしまっている。たんに強いだけの,何の面白味もない男。ここでも,いや,そういう映画を作ろうとしたんだから,と言われるはずだが。
いったいランボーは何を考えて傭兵隊と一緒に戦うことにしたのかもわからない。“ボート屋” に徹すればよかったのじゃないか。
● 戦闘地帯に乗り込もうとするNGOの面々の愚鈍さ。自分は正しいと居直る体質,上から目線体質,人の意見を聞かない体質。
彼らが乗りこんだために,迫害されていたカレン族の被害は拡大してしまったかもしれない。正義の味方のつもりのトラブルメーカーだ。そういうふうに描いているわけだが。
● ランボー(という作品)をランボーたらしめていたのはトラウトマン大佐であったこともわかる。彼が登場しない本作は,やはりランボーではないのだ(大佐役のリチャード・クレンナは2003年にすい臓癌で死去)。
とにかく,よくわからん。戦闘シーンを見てくれ,という映画なのだろうかな。