2018年1月23日火曜日

2018.01.20 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 20世紀名画座 「真昼の決闘」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 1952年製作のアメリカ映画。監督はフレッド・ジンネマン。
 さすがにこの映画は過去に見たことがある。学生時代に名画座で見たのか,テレビの洋画劇場で見たのかは定かでないけど,見たことがあるのは憶えている。
 が,それも記憶違いかもしれないな。見ていないのに,有名な映画だからこれは見ているはずだというのが,見たことがあるに変容してしまっているのかもしれない。

● ということで,有名すぎる西部劇映画。ゲイリー・クーパー扮するケイン保安官が,一人で腕っこきのならず者四人を相手にしなければならなくなる。
 治安判事は逃げだすし,ケインの前任者も補佐の保安官も手伝ってはくれない。命が惜しい。悪い人たちではないし,弱虫というわけでもない(そういうふうには描かれていない)。それほどこの街に戻ってくるフランク・ミラー(イアン・マクドナルド)が強いというわけだ。

● そうしてミラーが戻ってくる正午までを盛りあげる。どうなってしまうんだろう,と。ケイン保安官は四人を相手にして勝てるほどの腕ではないようなのだ。
 「この映画の上映時間は85分だが,劇中内における時間経過もほぼ同じ約85分ほどの「リアルタイム劇」となっている」とはWikipediaに教えてもらったこと。なるほどこの効果もあったのかと,あとで思いあたった。

● で,ミラーが戻ってきたあとは,意外にあっけない。要するに,この映画はケインと新妻エミィ(グレイス・ケリー),ケインとヘンダーソン町長(トーマス・ミッチェル),そしてハーヴェイ・ベル保安官補(ロイド・ブリッジス)のケインやヘレン(ケティ・フラド)との絡みが見所ということなのだろう。
 もうひとつの見所は,グレイス・ケリーのこの世のものとは思えない美しさでしょうね。
 が,存在感という意味なら,グレイス・ケリーよりケティ・フラドの方が印象に残る。

● このとき,ゲイリー・クーパーは50歳を越えている。この時代だ,すでに人生の晩年にさしかかっているといっていいだろう。
 なのに,若いエミィを妻にするとは荒唐無稽ではないか。と,言ってはいけない。ヒーローは既存の枠の外にいるのだ。何をやっても許されるのだ。

2018.01.20 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 日本映画劇場 「戸田家の兄妹」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 1941年(昭和16年)公開の小津安二郎作品。太平洋戦争が始まった年。しかし,作品の中にはそんな様子は微塵も出てこない。
 この時期,国民生活はまだまだ平穏で,中国大陸での戦いは遠い世界の出来事だったようだ。

● 戦前の日本の上流階層が舞台。戸田家の当主が亡くなり,借財の整理に本宅や書画骨董を処分することになった。母(葛城文子)と三女の節子(高峰三枝子)は行き場がなくなる。
 で,長男や長女のところにお世話になるわけだけども,お約束のとおり邪魔者扱いされる。後年の「東京物語」を思わせる。

● 「東京物語」の原節子演じる紀子の役回りが,ここでは次男の昌二郎(佐分利信)。
 気楽な独身だから何だって言えるよっていう気がしなくもないんだけども,彼なら所帯を持っても変わらないだろうな,とは思わせる。

● 高峰三枝子って,怖いオバサンという印象しか持ってなかった。つまり,年をとってからの役どころしか知らない。
 が,彼女にも若いときはあった(あたりまえだ)。当時から個性的な顔つきだったんだね。

● “宇都宮市立視聴覚ライブラリー 日本映画劇場”では今月から3回連続で小津作品を上映する。楽しみだ。
 こういう往年の名画って,DVDが300円とか500円で買える。電車賃をかけて東図書館に来るより,DVDを買ってしまった方が安い。けれども,ひとりでパソコンの場面で(あるいはテレビにつないで)見るかというと,どうもぼくは見ないような気がする。映画は外で見るものという刷り込みがあるんだろうか。

2017年12月23日土曜日

2017.12.23 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 20世紀名画座 「白い恐怖」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 1945年に公開されたヒッチコック作品(アメリカ映画)。この映画で最も大切な綾になるのは“夢判断”だ。専門家に言わせれば,たぶん,夢判断ってそんなものじゃないよ,ってことになるんだが,一般人にもわかるように,かつ映画として成立するようにしようとすれば,こうなるしかないでしょう。

● 主役はイングリッド・バーグマン扮する精神科女医のコンスタンス・ピーターソン。そこに颯爽と登場するのが,グレゴリー・ペックのジョン・バランタイン。
 しかし,彼は記憶を失っていた。コンスタンスは彼の記憶を取り戻そうとする。これが物語の縦糸。なぜそんなことをしようとしたのかといえば,ジョンに恋してしまったから。それが横糸。

● 後半にコンスタンスの恩師であるブルロフ先生が登場する。マイケル・チェーホフが演じる。この映画で最も印象に残った俳優が彼だ。
 日本人俳優でいうと誰にあたるだろうか。笠智衆ではないし,ちょっと思いつかない。茫洋をまとった繊細。その繊細を野放しにしない叡智。そういう人を体現している。

● この映画で,グレゴリー・ペックは最も美しいときのイングリッド・バーグマンと共演した。数年後には最も美しいときのオードリー・ヘップバーンとローマの休日を楽しんだんだよな。
 この果報者が,と言うべきか。あるいは,大変だったねぇ,とねぎらうべきか。

2017.12.23 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 日本映画劇場 「続・丹下左膳」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 持てば人を斬りたくなるという妖刀「乾雲」と「坤龍」。「乾雲」は左膳(大河内傳次郎)が持ち,「坤龍」は諏訪栄三郎(三田隆)の手にある。
 左膳にはお藤(水戸水子)が,栄三郎にはお艷(山本富士子)が,それぞれ慕い人として花を添える。
 監督はマキノ雅弘。

● 1953年の映画。この時期,映画は贅沢な娯楽だったはずだ。しかも,都市部(というか,街場)に住んでいる人たちの。
 大方の人には高嶺の花であったろう。その分,映画や映画館はキラキラと輝いていたに違いない。
 それを思えば,今はいい時代になった。映画は完全に庶民の娯楽になった。だからといって,最近の映画は質が落ちたということは(たぶん)ない。

● しかも,その時代の映画がDVDになって,家庭でも見ることができる。ぼくらは昔の大名以上の贅沢を味わっているのだろうね。
 ま,しかし,贅沢や幸せというのは,他人との比較を前提にした相対的なものであるようで,なかなかその贅沢に満足できないものではあるのだけど。

● でも,本を読みたければ図書館が,映画を見たければこういう無料の上映会が,音楽を聴きたければやはり無料のコンサートがある(主にはクラシック)。っていうか,CDもDVDも近くの図書館で借りられる。
 「健康で文化的な最低限度の生活」と日本国憲法が言うときの「文化的」には,映画や音楽や読書といった含意はないと思うけれども,そうした生活をしようと思えば,それ自体には1円も使わずとも実行できる環境が整っている。これはやはり,現代を生きるありがたさのひとつといっていいだろう。

● ぼくが子どもの頃は,丹下左膳は現役のヒーローだった。少年雑誌(少年マガジンとか少年サンデーとか)の表紙を丹下左膳の挿絵が飾ることがまだあったと記憶する。
 だものだから,この映画,自分が生まれる前のものではあるんだけども,古いという感じはあまり受けない。

2017年12月11日月曜日

2017.12.09 宇都宮市民プラザ ウィークエンドシネマ 「自転車泥棒」

宇都宮市民プラザ 多目的ホール

● 1948年のイタリア映画。監督はヴィットリオ・デ・シーカ。
 稼ぎの糧の自転車を盗まれた主人公アントニオ(ランベルト・マジョラーニ)が,息子ブルーノ(エンツォ・スタヨーラ)と二人で犯人を探す。
 “貧すれば鈍す”の物語。無関係の老人に多大な迷惑をかけ,無実の人を犯人と思い込み,あげくは自分が自転車を盗んでしまう側に回る。

● そんなことをしてる暇があるなら,別な仕事を探せばいい。粘着質なんだろうな,盗まれた自転車を探すことだけに視野が狭窄されてしまう。
 子役を演じたエンツォ・スタヨーラでもってるようなところがある。

● まぁ,でも,この映画の肝はそういうところにあるのではない。たぶん,何事かを訴えたい社会派映画なのだろう。その何事が何なのかは,ぼくにはわからないのだが。
 どうにもならないこの世の無情なのか,名もない市井人に対する世間の冷たさなのか。

● しかし,貧乏だからといって幸せになれないわけではない,ということも教えてくれる。ただし,ひとつだけ条件がある。まわりの人たちもひとしなみに貧乏であることだ。ここが崩れてしまうと,貧乏は辛いだけのものになる。
 だから,貧乏人は集まってスラムを作るのかもしれない。スラムに住む方が幸せなのかもしれない。

● ぼくが子どもの頃の田舎(農村)はひとしなみに誰もが貧乏だった。もちろん,多少の差はあったんだけどね。
 あの当時の暮らしを今の時代に再現すれば,間違いなく生活保護に該当するだろう。では,当時,ぼくらは不幸だったか。あの頃に戻りたいとはサラサラ思わないけれども,小さい幸せはいくつもあったような気がする。
 近所の女の子に心ときめかす幸せ。母親に背負われて移動した診療所までの1キロ半の道のり(背負って歩く母親はそれどころじゃなかったろうけど)。正月の餅の旨さ(ぼくは喉に詰まらせてしまう癖があって,餅米の餅は食べさせてもらえなかった。小麦粉で作ったおかきのようなものをあてがわれていたんだけど,それでも醤油を付けて焼くだけで充分に旨かった)。霜柱を長靴で踏んで歩く快感。たまに買ってもらう付録付きの少年雑誌を開くときの満ち足りた気持ち。初めて手にした安物の万年筆で大人に近づいたと思えたとき。
 そういう小さな幸せはたしかにあった。そして,幸せとは常に必ず,小さなものなのだ。

2017年11月21日火曜日

2017.11.17 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 20世紀名画座 「見知らぬ乗客」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 1951年制作のアメリカ映画。原作があるらしい。パトリシア・ハイスミスの同名小説。それをヒッチコックが映画化した。

● のっけからクライマックス。同じ列車に乗り合わせた大金持ちの御曹司ブルーノ(ロバート・ウォーカー)が,テニス選手のガイ(ファーリー・グレンジャー)に“交換殺人”を持ちかける。
 自分の父親を殺してくれれば,君が離婚したがっているミリアム(ケイシー・ロジャース)をぼくが殺してあげるよ,そうすれば君は付き合っているアン(ルース・ローマン)と結婚できるじゃないか,と。お互いに殺す動機がないことになるだろ,だから捕まる心配もないよ,と。
 ブルーノの話の進め方が強引であり,スリリングでもあり。

● ガイはもちろん相手にしない。さっさと話を終わらせようとして,それはいい考えだね,と言ってしまう。
 ブルーノは言質を取ったと思ったわけではないんだろうけど(つまり,ガイが「それはいい考えだね」と言わなくても,同じ行動を取ったと思うんだが),ブルーノはガイに話すこともなく,ミリアムを殺してしまう。

● ここから最後まで佳境が続くといってもいい。息つく暇もない。
 ガイが裏切ると読んで,父親のベッドでガイを待ちかまえていたブルーノ。ブルーノがガイのライターを下水に落とすところ。メリーゴーランドが高速回転を始めてブルーノとガイがライターをめぐって格闘するシーン。息を引き取る間際のブルーノの演技。

● 最後はハッピーエンドといっていいんだろう。ガイは疑いを晴らすことができたんだから。ヒッチコックにしては珍しいんじゃなかろうか,結末をハッキリさせているのは。
 しかし,見終えた時点でグッタリと疲れていた。

● 結末はハッキリしているんだから,このあとどうなるのだろうと想像する楽しみはない。けれども,ブルーノは結局何がしたかったのだろうという疑問が残される。
 もし,ガイが交換殺人に応じていたら,ブルーノはガイを追い詰めるような行動に出ることはなかったんだろうか。それとも,最初からガイをなぶることが目的だったんだろうか。だとしたら,理由はなに?
 というわけで,ブルーノの造形が印象的な映画。

2017.11.17 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 日本映画劇場 「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 1935年(昭和10年)公開。監督は山中貞雄。もっとも,Wikipediaによると「山中作品のうち現存する3作品の中で最も古いものであるが,残っているのは戦後公開版で,どこまでがオリジナルであるかは定かでない部分もあり,GHQによる検閲でチャンバラの場面などが削除されたと見られている」とのことだ。

● コミカルな娯楽映画。映画というのはどんなにシリアスなものであっても,どこかに娯楽の要素が入りこむものだろうけれども,これは肩肘はらないで見られる娯楽映画だ。
 大雑把にいえば,“こけ猿の壺”をめぐるドタバタ劇ということになる。丹下左膳(大河内傳次郎)とお藤(喜代三)の夫婦(内縁の夫婦ってやつ)のやり取り,そこに江戸へ婿養子に入った柳生対馬守の弟,源三郎が絡んでくる。
 さらに,孤児になったちょび安(宗春太郎)という子役が出てくるんだから,娯楽映画としては鉄板だ。

● 昔の映画だからね,登場人物がみんな可愛いんだわ。
 っていうか,ぼくらは(ぼくらの親の世代になるのか)こういう登場人物を見て大きくなったわけだから,知らず知らず,登場人物たちを内化しようとしてきたのかもしれない。彼ら彼女らのようになるのが,大人になるってことなんだな,と。