2018年6月11日月曜日

2018.06.09 宇都宮市民プラザ ウィークエンドシネマ 「荒野の決闘」

● 1946年のアメリカ映画。監督は「駅馬車」のジョン・フォード。主演はヘンリー・フォンダ。「西部劇映画の古典的な作品」「詩情溢れる西部劇の傑作」との評に異論はない。
 先住民を無条件に犬猫扱いしているのは,今となってはアメリカの恥部ではあろうけれど。

● この映画は学生時代に,その当時あった3本立ての名画座で間違いなく見ている。見ているはずなんだけども,記憶にはまったくとどまっていない。
 だから,初めて見るも同然で,かえってお得な気分でもある。

● ガッツ石松のギャグ(?)に“オーケー牧場”というのがあったけれども,OK牧場はここから来てたんですね。
 最後の決闘の場所になったのがOK牧場。かといって,決闘のシーンはさほどに長くないし,そこがこの映画のハイライトかというと,そうでもあり,そうでもなし。

● 原題は「My Darling Clementine」(愛しのクレメンタイン)。そのクレメンタイン(キャシー・ダウンズ)が脇に回っているんだけど,この映画はいろんな見方が可能だ。
 「荒野の決闘」という邦題がよかったのかどうか。たぶん,よかったんだろうけど。

● ヘンリー・フォンダ,かっこ良すぎ。蓮っ葉なチワワを演じたリンダ・ダーネルも。チワワ,いい女だなぁ。
 いい女っていうのはさ,階層,年齢,職業を問わず,あらゆるところにいるよね。しかも,その比率も,階層,年齢,職業を問わず,ほぼ同一。どうもそんな感じ。
 で,それを知覚できるかどうかは,こちら側の問題。知覚できたとして,彼女たちに相手にしてもらえるかどうかは,なお一層,こちら側の問題。

2018年5月23日水曜日

2018.05.19 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 日本映画劇場 「魔像」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 1952年公開の邦画。阪東妻三郎主演の娯楽映画。噂に聞く阪東妻三郎はこういう顔の男であったのか。原作は林不忘。

● 奉行所務めの新参役人の神尾喬之助を阪東妻三郎が演じる。これが職場で虐められて,それを女房にこぼすという情けないヤツで。
 じつは奉行所の役人が揃って賄賂まみれになっているのをどうにかしようとしている正義の味方。だものだから虐めの対象になっているというわけだった。しかも,この男,険の腕は立つのだった。

● 虐めに耐えかねてか,堪忍袋の緒を切ってか,神尾は同輩の一人を斬り殺してしまう。ここから物語が動きだす。
 茨右近という,これも何者かよくわからないヤツが登場する。喧嘩請負業とでもいうのか。善意のヤクザとでもいうのか。アウトローの世界に生きている。これを阪東妻三郎が二役で演じる。「魔像」というタイトルの所以だろうか。
 最後はテレビの時代劇と同じで(テレビの方がこちらと同じというべきなのだろうが),めでたしめでたしで終わる。

● 女優陣は若き津島恵子と山田五十鈴。
 津島恵子といえば,テレビで上品なお婆さん役を演じていたのしか知らなかったのだが,絶対美人とでも言うべき若い頃の相貌を,今回初めて見ることができた。

● 当時の映画だから,上層階層の娯楽だったはずだ。と思って見ると,ありがたいものに思えてくるし,当時はこれが娯楽の先端だったのだなと感慨に浸ることもできる。

2018年5月22日火曜日

2018.05.19 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 20世紀名画座 「郵便配達は二度ベルを鳴らす」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 1946年のアメリカ映画。原題は「The Postman Always Rings Twice」だから,邦題を変えているわけではない。映画を見終えたあと,このタイトルは秀逸だと思った。
 ジェームズ・M・ケインの原作のタイトルがそうなっているんだから,これは原作者のセンスということになるのだが。

● 雇い主の奥方(ラナ・ターナー)と雇われ人(ジョン・ガーフィールド)が恋仲になり,自分たちの結婚の障害になっている雇い主(セシル・ケラウェイ)を殺してしまおうとするわけだから,とんでもない話なのだ。
 雇い主は善人の塊のような人で(吝嗇ではあるのだが)何の咎もない。

● が,奥方も雇われ人も悪事を実行したことによる傷をあまり受けていないようなのだ。大義のためだったとでも思っているような。
 それが観客にも伝染する。この二人に感情移入してしまう。そういう作られ方になっている。二人の悪事が上手く行ってくれと思いながら見てしまうのだ。

● ストーリーにも不自然なところがある。二人して駆け落ちする。そのままどうにかなっていれば,何も問題はなかったのだ。が,奥方の方が帰ると言いだしてしまう。理由は単純で,こんな先の見えない生き方よりも,今までの安定した生活の方がいいというわけだ。
 自分との未来よりも過去を選んだのだから,ここで二人の仲は終わりを迎えて然るべきではないか。それがそうならないのは,男の側が惚れた弱みを見せるからだ。そんなものを見せる男は,女にすればそれだけでバイバイする理由になるではないか。

● この映画の見所は,二人して収監され,裁判を受けることになるところ。男が,女に責任をかぶせた調書にサインするよう求められ,それに応じてしまう。それを知った女が怒りを爆発させるところだ。ここでのラナ・ターナーはお見事としか言いようがない。
 しかし,それでも二人の仲が継続していくのは,何とも不可解。二人は法律上も夫婦となる。大小のトラブルを片付けていく中で,絆は深まっていくようだ。

● しかし,男は子供で女は大人だったという結論で終わる。バランスの取れた結論で,見ているぼくらも納得する。同時に,演じているラナ・ターナーの神秘性(?)が増す仕掛けにもなっている。
 それはさておき。洋画というのは,主演女優の圧倒的な美貌を堪能するものだとも思っている。ラナ・ターナーのあまりの美しさに声も出なかった。

2018年4月17日火曜日

2018.04.15 宇都宮市立南図書館名作映画会 「虹色ほたる ~永遠の夏休み~」

宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール

● 2012年公開のアニメーション映画。音楽は松任谷正隆が担当。主題歌を歌うのは松任谷由実。

● 小学6年生のユウタが1977(昭和52)年の村にタイムスリップする。村がダムの底に沈む前の最後の夏。そこで,さえ子(小3)やケンゾー(小6)たちとひと夏を過ごす。
 子供には神が宿っているという,“子供=神”観がベースになっているのかなぁ。何度か涙腺が緩んでしまった。

● 主役の子供たちの他に,重要な役として登場するのは年寄り。青天狗と呼ばれているほたる神社の神主。さえ子を世話しているおばあちゃん。それから,ユウタをタイムスリップさせた蛍じい。
 壮年期の大人は基本的に登場しない。ユウタの両親もほんのわずか出てくるだけだ。子供と老人だけで物語が展開していく。神性を宿す子供たちと,賢人の象徴と思われる年寄り。要するに,人間は後ろに引っこんでいる。

● 昭和52年というとぼくは大学生だったんだけど,いくら何でもこの映画に描かれているような光景は存在してなかったぞ。
というか,昭和52年に過去にタイムスリップするアニメ映画を作ったとしても,その過去はやはりこんな感じに描かれただろうなと思った。
 テレビが家の一番いい場所にあって,チャンネルはつまみを回す方式で,画面から離れて見るように大人から注意されるのだ。「三丁目の夕日」とあまり変わらないような。

● 昭和52年にさすがにこれはなかったでしょ。インターネットもパソコンもなかったけれども,水洗トイレはけっこう普及していたぞ。生活の快適さは,今と較べてもそんなに差はないような気がするなぁ。
 でも,今の子どもたちには,昭和52年はこんなふうにイメージされているのかもしれないね。

2018.04.14 宇都宮市民プラザ ウィークエンドシネマ 「心の旅路」

宇都宮市民プラザ 多目的ホール

● 1942年のアメリカ映画。記憶喪失になった富豪のチャールズ(ロナルド・コールマン)と天使のようなポーラ(グリア・ガースン)の恋物語。
 記憶喪失のまま病院を脱走したチャールズがポーラと出会って,結婚し,子供も生まれる。仕事の面接のためリバプールに出向いたときにタクシーに跳ねられる。その衝撃で,昔の記憶は戻ったものの,その後の記憶を失ってしまう。もちろん,ポーラのことも。
 この映画,悪人が一人も出てこない。後味がいいのはそのせいか。

● この映画の見所の第一は,何といってもグリア・ガースンの美しさだと思うんだけど,劇中のポーラがマーガレットと名前を変えてチャールズの秘書として登場したときに,ぼくはポーラとマーガレットが同じ女性だと気づかなかった。
 何なのだ,この顔認識の杜撰さは。ぼくはグリア・ガースンの美しさを本当にわかっているんだろうか。

● もうひとつは,ロナルド・コールマンのかっこよさ。彼は1891年生まれだそうだから,このとき51歳。しかも,76年前の51歳。この年齢でこういう役が様になるんだから,ハンサムは得だなぁ。
 あやかりたいものだと思った。が,普通の男性はあやかりようがないだろうね。

● 最後はその記憶を取り戻して,ハッピーエンドで終わる。ところが,その記憶を取り戻すところを見ることができなかった(つまり,途中で終わってしまった)。ぼくだけじゃなくて,観客の全員が。
 なぜなら,物語が佳境に入る終盤でDVDが止まってしまったから。機械に詳しい人がいればどうにかしたんだろうと思う。が,映す側も観客もあらかた年寄りばかりなのだ。手も足もでないのだ。残念。

● これで見たことになるんだろうか。ならないよねぇ。
 宇都宮まで行く電車賃より,DVDを買ってしまった方が安いはずだし,アマゾンのプライム会員になればたぶん無料で見られるだろう。そうすればすむ話ではある。
 ただ,若い頃に昭和の空気を吸ってしまった人間は,映画だけは大勢の人たちにまぎれて,大きなスクリーンで見たいと思ってしまうんですよ。
 ま,昭和原人の中にも,そうじゃない人がいるとは思いますけどね。

2018年3月31日土曜日

2018.03.17 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 20世紀名画座 「ハムレット」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 1948年のイギリス映画。1939年の「嵐が丘」でヒースクリフを演じたローレンス・オリヴィエが監督と主演を務めた。
 シェイクスピアの戯曲の映画化ということ。ぼくは著名なこの「ハムレット」のストーリーをこの映画で初めて知ることができた。

● ハムレットっていうと,決められない男の代名詞。例の“to be or not to be”なんだけど,この映画でのハムレットは優柔不断という感じではない。文学青年で大人になることを拒否している,という感じはするけれど,果敢に判断して素早く行動する。原作とはだいぶ違っているんだろうか。
 弟に殺された先王(ハムレットの父親)の亡霊が隠れた主役と思いたくなるほどだが,弟であるクローディアスを演じたベイジル・シドニーも存在感がある。

● 父親の死後,その弟(ハムレットからすれば叔父)とすぐに結婚した母親ガートルード(アイリーン・ハーリー)をハムレットは糾弾するわけだが,映画のこの母親がすこぶる若い。というか,ハムレットを演じるローレンス・オリヴィエがオッサンになってるわけだが。そこの違和感はどうしてもある。
 オペラを見ているつもりで,脳内で補正しなければいけない。

● 少し長いこともあるけれど,見終えたあとはけっこう疲れを感じる。ただし,決して不快な疲れではない。ギュッと密度の濃い映画だと思った。
 しかし,ぼくのようなヘタレは,これをもう一度見るのはちょっとシンドイなと思ってしまう。

● 東図書館のこの催しは月に1回。毎回,見かける人がいる。年齢はぼくよりだいぶ若い。前から会釈はするようになってたんだけど,今日はこちらから話しかけてみた。
 大きなスクリーンで見ると迫力が違うからとか,家で一人で見ても何だかつまらないですからねとか,そんな話をポツポツとしただけだけど。

● 彼,広島か四国の瀬戸内側とおぼしき言葉で喋る人だった。栃木に越してきて間もないようだ。
 この言葉は栃木ではなかなか受け入れられないだろうから,ひょっとすると,喋りたいのに喋れない状態になっているかもなぁと思った。なってないかもしれないけどね。

2018.03.17 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 日本映画劇場 「一人息子」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 今回も小津作品。1936(昭和11)年公開。
 信州の生糸工場で働きながら女手ひとつで息子(良助:葉山正雄)を育てている母親(おつね:飯田蝶子)。その息子が成績優秀。担任の大久保先生(笠智衆)は上の学校に行かせたいと思っているし,良助もそう思っている。
 が,おつねにすれば,そんなのは経済的に論外である。しかし,先生の説得(これからの時代は「学問」ですからなぁ)もあり,亡き夫が残した屋敷を売ってでも,良助に「学問」をさせようと決心する。

● 「学問」が実利を生んだ時代があったのだなぁ。勉強や学歴に希少価値があった時代。希少だから価値があった。ほとんどの人は,学問など関係のないところで,日々の体験を元に生きていた。だからこそ,「学問」をつけることに意味というか実利があったわけだろう。
 大久保先生自身,田舎の教師を辞めて,東京に出てさらに勉強しようとする。向学心に燃えているというより,出世欲みたいなものだったのだろう。今の価値観で測って,だからダメだというのはよろしくないのだが。

● しかし,時代は厳しかった。おそらく昭和恐慌が舞台だろうか。せっかく東京の大学を出ても,良助(日守新一)は夜学の高校の教師にしかなれていない。薄給で暮らしはカツカツだ。
 上京したおつねに,良助は成功している自分を見せようとするのだが,結局は馬脚を現すことになる。あの大久保先生も売れないとんかつ屋に身をやつしていた。
 帰郷したおつねは,友人に苦しげに良助のことを語る。自分の苦労は報われなかった。

● 後の「東京物語」を思いだす。「東京物語」ほど救いのない結末ではない。したがって,「東京物語」の原節子にあたる天使の登場も要しない。
 救いはある。良助は母親をもてなそうと全力を尽くし,妻の杉子(坪内美子)もよく献身する。それは見栄かもしれないし,時代が強制するものなのかもしれないけれども,ともかくそういう息子に育ってくれたのだ。いい嫁を引きあてたのだ。

● 逆に辛いシーンもある。最後に良助はもう一度勉強して,もっといい職に就けるように頑張るよ,と杉子(と信州に帰った母親)に宣言するのだが,おそらく虚しい努力になるだろうと思わせる。厳しい時代状況に対するに,そういう上品な対応ではたぶん無力だろうな,と。
 インテリは修羅場に弱いというのがテーマなのかといえば,もちろんそうではない。しかし,良助がおつねに,東京になんか出ないで田舎で暮らしたかったと打ち明けるシーンでは,もしそうしていれば,何で東京に出してくれなかったのだ,と言うに違いあるまい,と観客は思うだろう。ぼくは思った。その弱さがなぁ,と。

● 昭和恐慌はひとしなみに個人を押し流したのだろうな。青雲の志も,ささやかな家庭の営みも。
 そして10年後には太平洋戦争が始まり,東京は焼け野原になるのだ。