2016年12月19日月曜日

2016.12.17 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 20世紀名画座 「間諜最後の日」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 1936年(昭和11年)のアメリカ映画。監督はアルフレッド・ヒッチコック。ヒッチコックの初期の代表的な作品,というのは係の人が言っていたことの受け売り。

● リチャード・アシェンデンにジョン・ギールグッド,エルザにマデリーン・キャロル,将軍にピーター・ローレ。マーヴィンにロバート・ヤング。 
 時は第一次世界大戦の最中。アシェンデン,エルザ,将軍の3人が,イギリスの諜報員。ドイツのスパイが紛れ込んでいるから消せと指令を受け,スイスに派遣される。

● で,スリルあり,笑いあり,ドタバタありの場面が続くわけだ。映画はすべて娯楽映画のはずだ。見るのが苦痛であるほどのスリルを盛りこむわけにはいかないだろう。
 この映画もそこは充分に娯楽映画になっている。楽しむことができる。

● アシェンデンとエルザは間諜員としてはまるでダメ。将軍は優秀な間諜員。肝が据わっている。そのうえ,ボケ役も兼務していて,懐の深い男として描かれている。
 展開に不自然なところもある。誤って市民を殺害してしまったアシェンデンたちに,指令者から間違えているという連絡が入る。スパイの名前は○○○だと知らせてくる。
 だったら最初から教えろよ,と突っこみたくなるところだ。市民一人を殺さずにすんだろうがよ。

● ただね,吹っ切れなさを残して終わるのは,ヒッチコックだなぁと思うところがあった。
 最後にじつはドイツのスパイだった男とトルコに出かけるエルザ。本当は彼がドイツのスパイだと知っていて,味方の前で演技をしていたのかもしれないと思わせるところがある。スクリーンの彼女は決してそうではないんですよ。任務よりも恋を選び,その恋が上手く行かなくて,傷心のうちに男と出かけているんですよ。でも,味方のみならず観客まで騙して,じつは・・・・・・と思わせるところがあるんですよ。
 いや,さすがにそこまで言うのは,言う方に無理があるんですけどね。

2016年11月7日月曜日

2016.11.06 高根沢町図書館上映会-「ピノキオ」

高根沢町図書館中央館 2Fアートホール

● 「入場無料です。お気軽にお越しください!」というので,行ってみた。午後1時に始まって,3時40分に終了。上映されたのは次の2本。 
 謎の海底 サメ王国
 世界名作アニメ ピノキオ

● 前者は2013年にNHKが制作したドキュメンタリー。NHKで放送されたものだと思われる。駿河湾と相模湾の深海は深海サメの宝庫。多種のサメが生息している。その生態をカメラが捉えた的な。
 好きな人は好きなんだろうな。ぼくもこういうの,嫌いではないんだけれど,かといってさほど好きなわけでもなく。

● 太古から進化を止めている深海サメ。なぜかといえば,深海は地表に比べれば環境変化がなかったから。進化しなければならない理由がない。
 ヒトは進化の最終形態なのかそうではないのか。どっちでもいいんだけど,進化したのが偉いってわけでもないんだな,と。

● 深海サメを研究対象としている学者が2人,登場する。研究対象としているというと聞こえがいいけれど,要はヘンなのに興味を持って,それを追いかけているわけだ。つまり,オタクだよ。学者=オタク,でよろしいか。
 女性のスカートの中を追いかけると刑務所に行くんだけど,深海サメを追いかけると大学の教授になる。

● けれども,好きなことを追求してそれが仕事になっている人って,羨ましい。2人の学者,どちらも活き活きしてて,楽しくてしょうがないって感じだったからね。

● 「ピノキオ」は1940年の作品。もちろん,アメリカ製。ピノキオのストーリーって,ぼくの場合は,小学生のときに講談社の絵本で仕入れたものだと思う。
 で,そのときの記憶とディズニーランドのピノキオのアトラクションの場面展開が合わなくて,少し違和感を持っていたんだけど,それが解消された。ディズニーランドのアトラクションは,この映画のストーリーをそのままなぞっているのだった。

● で,この映画のピノキオには落ち度はまったく何もない。命を吹き込まれたばかりの赤ん坊も同然のピノキオを,学校に行かせるゼベット爺さんが間違っている。
 しかも,木の人形が歩いて喋るのだ。人目を惹くのは当然だ。悪いやつに騙されてサーカスに売られたり,“喜び島”に送られたりするのも,ピノキオの責任ではない。
 要するに,邪悪な人間世界に無防備で飛びだしたのがピノキオだ。

● で,最後は,大鯨に呑みこまれたゼベット爺さんを命を呈して助けに行く。見事に助けだして,ピノキオは人間になることができた。
 つまり,ピノキオはあり得ないほどにいい子なのだった。この映画においては。

● せっかくの図書館の行事なのに,客席にいたのは数名。他の施設での催事と重なったらしい。それが理由だよ,と言っていたご老人がいた。
 昔の映画を上映して人を呼ぶのは,かなり難しいのだろう。対策としては,親子で見てねという今の路線を廃して,往年の名画に特化すること。そうすると老人ばかりになるけれど,老人は数が多いから,頭数は増えるのじゃないか。
 ただ,それは宇都宮市立図書館がすでにやっていることだ。同じことをやるのもシャクかな。

2016年11月5日土曜日

2016.11.03 「ぼくのおじさん」

TOHO CINEMAS 宇都宮

● 朝の9時過ぎ。この時間帯でも,TOHO CINEMASにはけっこうな数のお客さんがいた。シネコンなんて言葉,もう死語になっているのかもしれないけれど,シネコンができる前の映画館の惨状と対比すると,隔世の感がある。
 映画は死んだとまで言われていたのではなかったか。テレビに圧されっぱなしで,もう風前の灯火だみたいな。

● けれど,今になってみれば,映画そのものが斜陽だったのではなくて,映画を観る場が時代遅れになっていただけだったのだとわかる。
 薄暗い。トイレの臭いが漂ってくる。学校の購買部より貧弱な売店と愛想のないおばさんの販売員。裏街道に迷いこんだと思わせる,悪場所的な雰囲気。
 懐メロ爺さんの中には,それが良かったのだという人もいるかもしれないけどさ。

● シネコンは映画を明るい健全娯楽にした。明るくなれば陰は消える。
 今のシネコンは屈託がない。性別や年齢を問わず,夫婦やカップル,家族連れ,一人者,誰でも好きな映画を気兼ねなく観に来れる場になった。
 初めてシネコンを構想し,作った人は,偉いと思うな。

● その偉い人の発想を刺激したひとつは,ディズニーランドだと思うね。ディズニーランドは誘蛾灯だ。ああいうものに人は群がるものだとわかった。だったら,映画館も同じようにすればいいじゃないか。
 飲食物で儲けるっていうビジネスモデルを成功させたのもディズニーランド。これもしっかり真似ている。シネコンも,チケット収入より,ポップコーンとドリンクで儲けているよね。

● 持ち込みは禁止なんだよ。見ながら飲み食いするとうるさいからという理由。だったら,館内販売のポップコーンやドリンクだって同じ理屈でダメなはずだがな。
 でも,客席にはコップを置くためのホルダーが設置されている。どうぞ,飲みながらご覧ください,って。

● ポップコーンもドリンクも,いくら何でもボッタクリすぎだろうと思える値段だ。だから,ぼくは買ったことがない。
 なんだけど,あまりお金を持ってなさそうな高校生がジャンジャン買っている。彼女とデートに来ている? お金を惜しむところじゃないんだろうな。
 って,そういうことじゃないようだ。条件反射で買っているんじゃないかと思う。映画とはポップコーンを食べながら見るものである,っていう。

● 相方もポップコーンを食べるのと映画を見るのをセットで考えているようだ(だから,相方はここのポップコーンを買う)。
 映画を見る時間を大切にするということは,つまりポップコーンを食べながら見ることとイコールのようなのだ。映画を楽しむという体験の中に「ポップコーンを食べる」も組み込まれているのだ。

● さて,この映画は北杜夫の原作を山下敦弘さんが監督。“おじさん”は松田龍平。頭が良くて気が利く甥の雪男(つまり“ぼく”)に大西利空。
 雪男の父親が宮藤官九郎で,母親が寺島しのぶ。物語後半のマドンナになるエリーさんに真木よう子。

● 一緒に見た相方の意見は,後半は要らないというもの。北杜夫の原作にこんなのはない。“おじさん”の抜けぶりを淡々と映像にしてくれればいい,恋愛ストーリーはいらない,ということ。
 ぼくも北杜夫の小説やエッセイはほぼすべてを読んでいると思うんだけど,相方も幼い頃に北杜夫を知って,耽溺した過去があるらしい。原作の香りをそのまま映像にしてほしい,余計なものは入れないでほしい,と考えているようだ。

● でも,ま,ストーリーがないと2時間もたせるのは難しくなる。エリーさんを巡って,“おじさん”と老舗の和菓子屋の御曹司(戸次重幸)が演じるドタバタも面白かったけどね。
 “おじさん”と雪男が,並んで海を見ながら,そろそろ日本に帰ろうかというシーンも,絵的にキレイだったし。

● この映画は雪男でもってるような気がしたね。大西利空の可愛らしさと巧さ。天才子役の誕生だ。
 が,子役ってわりと使い捨てにされる印象あり。あんまり芸能界に深入りさせない方がいいよなぁ,親としては,と余計なことも考えた。

2016年10月31日月曜日

2016.10.30 「シン・ゴジラ」

TOHO CINEMAS 宇都宮

● 今頃になってやっと見ることができた。
 作る側は膨大なエネルギーを注いでいるのだろう。が,見る側とすれば,その結果を楽しむだけ。気楽なもの。
 だって,お金を払う立場なんだからね,エヘン。

● こういう映画に,たとえば政治のリアリティとか,法理論の正確さとか,日米安保の本質的性格とか,そういうものを見せてくれという人はいないだろう。
 ゴジラがフェーズを変えて巨大になっていく様や,自衛隊がゴジラに爆撃を加えるときの迫真さ(とこちらが勝手に思っているもの)を,息をつめて見つめる。娯楽性を極めていてくれれば,それでいい。

● 矢口蘭堂(政務担当の内閣官房副長官)に長谷川博己。赤坂秀樹(国家安全保障担当の内閣総理大臣補佐官)に竹野内豊。
 カヨコ・アン・パタースン(米国大統領特使)に石原さとみ。英語の発音はともかく,アメリカ人っぽい日本語の喋り方はさすが女優。つかみが上手い。
 尾頭ヒロミ(環境省の課長補佐)の市川実日子も存在感を放っていた。他に,ちょい役もキラ星のごとく,あの人やこの人が登場する。

● 総じて,政治家が好ましく描かれていた。国を思い,国民を思い,国益は何かを考え,不眠不休で職務にあたる。
 ひと世代前だったら,ここは官僚が主役になったところかもしれない。

● ゴジラが都市を破壊していく様が痛快。誰にも破壊願望があるんだろうか。ゴジラが自分に代わってその願望を満たしてくれる。
 しかも,映像がかなりリアルなものだから,破壊願望の満たされ方もリアルだ。

● 「人間の8倍もの遺伝子情報を持ち,個体での進化および無生殖増殖を行い,死をも克服した」とんでもない「完全生物」のゴジラ。
 これではとても人間は対抗できまいと思われるところ,わりとあっさりと血液を凝固されて,凍らされてしまう。ここで映画は終わるんだけれど,このあとどうすればいいんだろう。粉々に砕いただけではダメだぞ。そのカケラから多数のゴジラが生じてしまうかもしれないのだから。

● 音楽にも注目。伊福部昭の音楽が使われているようだった。CDを引っぱりだして,あらためて聴いてみるか。
 『シン・ゴジラ音楽集』というのも出たようで,これを買ってもいいわけだが。

2016.10.29 「ブリジット・ジョーンズの日記 ダメな私の最後のモテ期」

TOHO CINEMAS 宇都宮

● 「ブリジット・ジョーンズの日記」は前作から11年ぶりとなるシリーズ第3作とのこと。その前作を相方は見たようで,とても面白かったから,これも見たいという。でもって,お付き合い。
 夫婦で見ると,一人あたり1,100円ですむのでね。

● ストーリーはハチャメチャだ。ブリジット(レニー・ゼルウィガー)は半ばヤケになって,その日出逢ったジャック(パトリック・デンプシー)とHする。そのあと,かつて恋仲だったマーク(コリン・ファース)ともヤケボックリに火がついた感じで,これまたHをしてしまう。
 その結果の妊娠。高齢出産に挑むのはいいとして,父親がどちらかわからない。ここからいろいろとストーリーの綾(というかドタバタ)が生まれていく。

● こういうとき,普通だったら,2人とも父親は自分じゃないと言って逃げるはずだと思うんだけど,ジャックもマークもとってもいいヤツで,父親は自分かもしれない,やったー,オレに子どもができた,とブリジットにつくす。

● 結局,父親はマークだってことになるんだけど,ま,このあたりはどっちでもいい。最後はハッピーエンドだ。子どもも可愛い。よかった,よかった。
 という,それだけの映画。楽しむところはドタバタのひとつひとつってことになるんだけど,これがけっこう楽しめる。

● あと,女医役のエマ・トンプソンに注目。いい味を出している。男は若いうちに,こういう女性(エマ・トンプソンではなくて,劇中の女医さん)に人生を教えてもらう機会を得るべきだな。

2016年9月10日土曜日

2016.09.10 「君の名は。」

TOHO CINEMAS 宇都宮

● ちょっと映画づいたか。TOHO CINEMASで「君の名は。」を見た。“大ヒット上映中”であるらしい。らしいっていうか,確かにお客さんが多い。
 16時過ぎに劇場に行ったんだけど,16時40分からのチケットは完売で買えず。18時からの字幕が入っているのを見るハメになった。日本語なんだから,字幕は基本的に邪魔なんだが(いや,失礼な言い方をした。字幕が必要な人も,少ない数だろうけど,いるはずだよね)。

● お客さんの主力は若い人たちだ。高校生が多かった。カップルで来ている人もいたけれど,同性どおしで来ている人が多かったな。
 男どおしっていうのもわりと多くてね。それだけこの映画が旬になっているんだろうね。話題になってるようだから見に行こうぜ,的な。
 男どうしで行くくらいならオレは行かない,っていうやせ我慢をしているヤツもいるんだろうな。ぼくはそっちの方にシンパシーを感じる。

● この映画の第一の特長は画面の美しさだ。これはもう圧倒的だ。
 ジブリ作品とはまた違った味わいの,精妙なアニメーション。といっても,ジブリ作品なのではないかと錯覚することもあった。執拗とも思える,背景の細部に至るまでの描き込みとかね。大変な手間がかかっている。
 新海誠監督の作品を見たのはこれが初めて。過去の作品も見てみようか。TSUTAYAにはあるんだろうから。

● 舞台は奥飛騨の架空の町。町に近づいていた彗星の核が壊れて,町を直撃。町は破壊され,住民のほとんどは亡くなった。その中に主人公の三葉も含まれていた。
 が,もうひとりの主人公,瀧が過去に遡って,三葉をはじめ町の人たちを救いだす。最後はハッピーエンドで終わるんだけど,不思議なストーリーだ。数年前のテレビドラマ「仁」の筋立てを少々複雑にしたような。
 ファンタジーと言ってしまえば,それはそうなんだけど,こちらの気持ちの琴線に近いところを刺激する。だからこその“大ヒット”なんだろうけど。

● タイトルの所以は,互いに入れ替わってしまう2人が,相手の名前を思い出せなくなるところから。“大切な人”“忘れてはいけない人”であることは憶えているんだけれども,名前は思い出せない。
 当然ながら,真知子と春樹と数寄屋橋の「君の名は」とはまったく無関係。

● ちなみに,一緒に見た相方は途中からスヤスヤとお休みになってたようだった。
 コンサートホールや映画館で居眠りをするのは,かなり高級な休息の取り方だと思うから,あえて起こしたりはしなかった。

● もうひとつ,ちなみに。片方が50歳以上の夫婦がふたりで入場する場合は,ひとり1,100円と通常料金よりだいぶ安くなる。
 ありがたいんだけど,本当に50歳以上かどうかチェックしないんだよ。チェックしてくれよ。チェックするまでもないでしょ,って言うなよ。


(追加 2016.10.05)

10月5日の朝日新聞。

「君の名は。」が売れた理由。ぼくはストーリーの奇抜さにあると思う。奇抜だけれども,観客がこうなってくれたらと思う方向に事態が進んでいくという優しさ。これが大衆受けする基本ではないか。

2016年8月28日日曜日

2016.08.28 「後妻業の女」

TOHO CINEMAS 宇都宮

● 宇都宮のTOHO CINEMASで「後妻業の女」を見た。新作映画を劇場で見るのは,何年ぶりだろう。木村拓哉主演の「SPACE BATTLESHIP ヤマト」以来のような気がするが。とすれば,6年ぶりか。
 どうして見たのかといえば,相方が見たがったので。夫婦で見ると安くなるんだとか。特に高齢者の場合は。

● 原作は黒川博行の「後妻業」。監督は鶴橋康夫。
 後妻業というのは,資産家の独身男性の後妻に収まって,多額の金品を貢がせたり,遺産をガッポリと頂戴しようという“生業”。当然,女性しかやれないけれど,裏で糸を引く男はいるかもしれない。あるいは,女を組織して組を作り,上前をはねる男がいるかもしれない。

● そのとんでもない悪党が小夜子(大竹しのぶ)と亨(豊川悦司)。が,悪党にも三分の理。っていうか,大竹しのぶの悪党なんだから,コミカルタッチで楽に見られる内容になっている。
 相方はこの映画の豊川悦司を見て,トヨエツもこんなオジサンになっていたのか,と申しておりましたが。

● ぼく的には,笑福亭鶴瓶の存在感に注目。尾野真千子と永瀬正敏もいい役どころなんだけど,ふたりとも可愛らしさが勝ちすぎているように思えた。ちょっときれいすぎるというかね。
 その他,ちょい役で登場する俳優たちが,綺羅星のごとくだ(もうすぐ死にそうな人たちばかり,と言ったヤツもいるんだけど)。
 この映画で唯一,ヌードを披露する樋井明日香も忘れてはいけない。濡れ場らしい濡れ場を豊川悦司と演じた。これがあるとないとじゃ,だいぶ違う。

● じつは,ぼく,途中まで尾野真千子と樋井明日香の区別がついてなくて,エエッ,小夜子の被害者の娘が亨の愛人に潜りこんできたのか,これは面白いことになりそうだ,と思ったんだけど,まったく困った勘違いだった。
 っていうかさ,オレの眼ってどうなってるんだ?

● ご趣味はと訊かれたら,これからは,読書と夜空を見あげることです,と答えることにするか。

2016年2月21日日曜日

2016.02.21 宇都宮市立南図書館名作映画会 「断崖」

宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール

● 1941年に公開されたヒッチコック監督作品。アメリカで制作された。

● 昨日は東図書館で,今日は南図書館。先月からヒッチコック作品を取りあげていて,来月も見られれば,4本。ありがとうございます,と言いたくなる。

● 良家の子女であるリナ(ジョーン・フォンテイン)と詐欺師ながら女性の気を惹くのが巧いジョニー(ケーリー・グラント)が結婚してしまう。
 で,まぁ,色々あって,ジョニーの友人のビーキー(ナイジェル・ブルース)が死ぬところまで行く。リナはジョニーの仕業ではないかと疑い,いつかは自分も殺されるのではないかと考える。

● 実家に戻るつもりが,途中でジョニーを誤解していたと思い直し,引き返す。ここで映画は終わる。ジョニーを誤解していたと思ったのは,ジョニーの弁舌にしてやられたからだ。

● いやいや,それは観客にもわからない。ひょっとしたら,ジョニーの言うとおりなのかもしれない。しかし,そうは思いにくい伏線がいくつも張られている。
 もし自分がビーキーについてパリまで行っていれば,死の原因になったブランデーの飲み過ぎ(ビーキーは心臓が弱いのだろう)を自分は止めたと,ジョニーは言う。が,リナとジョニーとビーキーと3人でいるときにもビーキーはブランデーを飲んで発作を起こした。このとき,ジョニーは放っておくしかない,と冷たく言い放っている。

● 何度もリナに嘘をついている。雇用主相手にひどい詐欺もはたらいている。目先の快楽に必ず負ける男で,そのお金のためには詐欺も殺人もやりかねない男として描かれている。
 ミステリー作家に毒薬のことを詳しく訊く。なにゆえにそこまで知りたがるのかわからない。ということは,誰かを殺すつもりなのだろうと,リナも観客も推測することになる。

● ので,最後のシーンで観客はリナを案じることになる。ジョニーは黒だ。
 でも,本当のところはわからない。誰にもわからない。このあたりが,ヒッチコック流なんでしょう。

● ケーリー・グラントの演技もそういう役どころにはまっている。心憎い悪役ぶりをふりまいている。
 この映画ではジョーン・フォンテインがアカデミー主演女優賞を得ているんだけど。

2016年2月20日土曜日

2016.02.20 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 20世紀名画座 「山羊座のもとに」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 1949年のイギリス映画。監督はヒッチコック。ヒッチコック作品の中では「サスペンス色が薄い」らしい。上映前にスタッフの説明があった。

● 舞台はオーストラリアのシドニー。シドニーでは成功している人に対しても,前歴を訊いてはいけないとされていた。なぜなら,たいていの場合,刑務所にいたからだ。
 イギリスから犯罪者が大量に送られてきた。彼らがオーストラリア開発に果たした役割は,実際も小さくはなかったのだろう。

● 主演はイングリッド・バーグマン扮するヘンリエッタと,彼女の夫であるフラスキー(ジョゼフ・コットン)といっていいだろう。ジョゼフ・コットンの演技は重厚で,印象に残った。
 しかし,それ以上にフラスキー家のメイド(ミリー)を演じたマーガレット・レイトンの存在感がすごい。ミリーの存在がヒッチコック的サスペンスの趣を湛えている。

● ヘンリエッタを励まし,元気づける役割のアデア(マイケル・ワイルディング)も重要な役どころだけれども,トリックスター的な役回りか。
 ヘンリエッタとフラスキーに割って入ることはできない。夫婦にしかわからない修羅場があった。
 リチャード総督(セシル・パーカー)もいい味,とぼけたところのある善人,を醸している。

● この映画については,ぼくでも知っていたエピソードがある。「イングリッド,たかが映画じゃないか」とヒッチコックがイングリッド・バーグマンに語ったというエピソード。
 なにしろ,超ロングのショットがある。俳優には過酷に過ぎる。納得できないバーグマンは,「ヒッチコックを質問攻めにした」。
 ところが,ヒッチコックは「議論嫌い」。そこで,「イングリッド,たかが映画じゃないか」と。

● 面白いエピソードだと思うんだけど,ヒッチコック,ちょっとずるいよね。今だと,説明責任を果たしていないと言われそうだな。
 が,ずるいけれども,彼の気持ちはかなりよくわかる。

● この映画のタイトルの由来は何なのだろう。山羊座って。星座だよね。誕生日を支配する星座のことだろう。
 ヘンリエッタかフラスキーの誕生日なのか。それとも,二人が駈け落ちを決行した日? 追ってきたヘンリエッタの兄を殺してしまった日?
 今頃になって気になってきた。

2016年1月16日土曜日

2016.01.16 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 20世紀名画座 「恐喝(ゆすり)」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 1929年のイギリス映画。監督はかのアルフレッド・ヒッチコック。イギリス映画のトーキー第1作になるらしい。
 冒頭は,サイレント・タッチで警察の仕事を丹念にリサーチしていく。

● 事件が片づいて。刑事のフランク(ジョン・ロングデン)は恋人(婚約者か)のアリス(アニー・オンドラ)とデートに出かける。
 が,30分も待たされたアリスは最初からオカンムリ。デートの途中で諍いを起こしてしまう。
 その諍いの原因のもうひとつは,プレーボーイの画家の男(シリル・リチャード)のアリスへのモーションだ。阿呆なアリスは,彼とデートをし,あろうことか彼の部屋に上がりこんでしまう。
 案の定,アリスは襲われそうになり,必死の抵抗の末,彼を殺してしまう。

● その事件を担当したのがフランク。現場にアリスの手袋の片方が残っていたのを発見して,上司にばれないようにそっとポケットにしまう。
 ところが,事件の真相を知ったトレイシーと名乗る男(ドナルド・カルスロップ)がアリスとフランクをゆすりに来る。ここがよくわからないところ。
 トレイシーもアリスの手袋の片方を持っているんだけれども,どうしてそれを手に入れることができたのか。そこが腑に落ちない。

● トレイシーは,しかし,警察が目をつけていた前科者だった。フランクは彼に罪をなすりつけようとする。トレイシーは逃走し,大英博物館に逃げこむ。
 ここでの捕りものシーンは見応え充分。が,トレイシーはドームの上に追いつめられて,あっさりと墜落死してしまう。

● アリスはトレイシーに罪をかぶせることを潔しとせず,自ら警察に出頭し,自首しようとする。が,担当警部にいろいろと取りこみがあったようで,フランクが対応することになった。
 フランクは全部わかっているわけだから,アリスの話を聞く必要はない。で,二人で警察署の出口に来る。そこで終わる。

● フランクがアリスに自首をさせなかった(アリスもそれを承諾した)ようにも取れる。
 が,その直前に画家の部屋にあった絵(アリスが破いた箇所がある)が警察署に運びこまれるシーンが挿入されており,アリスが逮捕されることを暗示するようでもある。
 また,冒頭のサイレントシーン(取り調べ)に繋がるようでもある。
 このあとどうなるかは,視聴者の想像に委ねているのか。

● ヒッチコックの映画は,展開が点線になっているというか,一義的にこうだと視聴者に押しつけないというか(でもかなり匂わせてはいる),要するに大人の映画だという印象。
 イギリス的成熟の一側面を体現している,といってもいいんですかね。

● シリル・リチャードのプレイボーイぶり,画家を殺してしまった後のアニー・オンドラの鬼気迫る演技,そしてドナルド・カルスロップの“ゆすり”の妙。
 この映画はそういうところを味わうものだと思った。