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2021年12月9日木曜日

2021.12.09 記憶屋

Amazonプライムビデオ

● 「記憶屋」(2020年)。原作は織守きょうやの同名小説。
 人の記憶を消せるという記憶屋を探す話。もちろん,その縦糸を追う過程で,色々と横糸が延びて行く。広がりのある展開になる。最後は,記憶屋が自分の一番大切な人から自分の記憶を消し去って,離れていく。

● 山田涼介と芳根京子のダブル主演と言っていいと思う。佐々木蔵之介と蓮佛美沙子も重要な役どころで出演。
 佐々木蔵之介が演じるのは優秀な弁護士。そのアシスタントが泉里香の安藤七海。美貌のアシスタント。こんなアシスタントや秘書が居たら,まず家庭崩壊につながるね。
 大企業の秘書室は知らず,自分で仕事を作ってやっていくという人は,アシスタントや秘書を持ってもいいけれども,美人は採用しないのが正解だと本気で思いますよ。

● 主題歌は中島みゆき「時代」。1975年に出ている。半世紀近く前。以後,何度もバージョンアップして生き残っている。生命力の旺盛な歌曲ですよね。

● Amazonプライムは年会費が4,900円。Amazonで買い物をすることはあまりないので,送料無料の恩恵は受けていない。しかし,プライムビデオでこういう映画も見られるのだから,4,900円は超絶安い。
 プライムビデオが目的でプライム会員になった。それ以外のサービスはほぼ全く使っていない。

2021年10月3日日曜日

2021.10.02 春待つ僕ら

Amazonプライムビデオ

● 「
春待つ僕ら」(2018年)。青春ドラマ。
 このとき23歳の土屋太鳳が高校1年生の役。違和感は全くない。わずかにあるっちゃあるんだけど,無問題。
 相手役に北村匠海と小関裕太。他に,泉里香,緒川たまき。土屋太鳳のクラスメート役の佐生雪は,今年の3月で女優を辞めたらしい。

● 主人公の春野美月(土屋太鳳)が女の子だと思っていたアヤちゃん(小関裕太)が,じつは男だったというのが,展開の起点になっている。劇中では高校生になったアヤちゃんを両性具有っぽく描いており,小関裕太がそれを上手く表現している。
 ひと頃,現実世界でもこのタイプの男子がもっと認知されて,広まって行くのかと思っていた。新宿2丁目が拡散するというのとはちょっと違うのだが,女っぽい男が受けるようになるのじゃないか,と。
 だが,どうもそういうふうにはならなかったですかね。

● 若いっていいなぁと思いますよ。こういうのはね,歳を取るとできなくなる。状況に恵まれてもできなくなる。仮にできたとしても,傍目には全く様にならないだろう。
 恋愛に伴う諸々のぎごちなさや異常行動(?)は,生殖期の初期にある若い男女が似合う。あたりまえだけどね。神様がそういうふうに人間を作っている。

● 命短し,恋せよ乙女,とはじつに言い得て妙であって,乙女に限らず,男にもあてはまる。恋なんていつでもできると思ってはいけないよ。
 恋愛するには恋愛能力が必要で,その能力は死ぬまで保持されるものではない。いずれ消滅する。意外に早いかもしれない。
 “黄昏流星群” は若いときの “恋” とは似て非なるものではないかと思っている。若い男女の異常行動は異常と捉えないようにするセンサーが全員に備わっているが,“黄昏流星群” の異常行動は単純に異常だ。

● 何が言いたいのかというと,チンタラ仕事してるくせに,男は仕事だなどとのたまって,色恋を下に見るがごときは愚の最たるものだということだ。
 かといって,追いかければ上手くいくというものでもないから,実地にしっかり勉強したまえ,諸君。っていうかさ,この分野では女子に色々と教えてもらうことだよ。

● 主題歌は “TAOTAK” が歌う「Anniversary」。“TAOTAK” とは土屋太鳳と北村匠海による音楽ユニット。
 ウィキペディア教授によれば,「Anniversary」は「桜井和寿(Mr.Children)とラッパー GAKU-MC によるユニット・ウカスカジーが2016年に発表した同楽曲をカバーしたもの」。

2020年5月6日水曜日

2020.05.06 ドラマ「JIN -仁-」

Amazonプライムビデオ

● 昨年の1月22日にAmazonプライムの会員になった。Amazonで買物はあまりしないので(年に片手で数えられる程度),もっぱらプライムビデオを見るために会員になった。1年間で151本の映画を見た。
 途中で,年会費が4,900円に値上げされた。しかし,まったく気にならない。会費以上の恩恵を受けているからだ。

● が,その大半は前半の半年で見ていて,だんだん見なくなった。飽きたというんじゃないけど,何だか他のことをして過ごす時間が増えた。ついには,月に1本しか見ないようになっていた。
 それがね,今年の3月10日に,土屋太鳳(と菅田将暉)主演「となりの怪物くん」を見たのを機に,再び,プライムビデオを見るようになった。4月からは退職して隠居じじいになったこともあって,プライムビデオを見るために息をしているような感じになった。
 3月10日以降,130本ほど見ている。

● で,この黄金週間中は,大沢たかお主演のドラマ「JIN -仁-」を見た。地上波(TV)でも再編集版が放送されていたようだけど,ぼくはAmazonプライムビデオで。
 まず,2009年に放送されたPart1を。当然,TV放送はリアルタイムで見ている。
 ドラマ史に残る名作でありましょうね。綾瀬はるかが新境地を示した作品でもある。中谷美紀の“ありんす”言葉も流行りました。

● 5月2日にPart1の第1話を。戸田菜穂でありましょうね,この回は。
 3日に第2話から第8話まで。このドラマはストーリーや場面設定,脚本,俳優の演技のほかに,音楽も効果的に使われていると感じました。その音楽は,髙見優,長岡成貢の担当。
 大沢たかお演じる南方仁はよく泣く男だ。そういう場面がたくさんあるからで,それがドラマというものなのだが,ニヒルよりも感情家の方が受けるんでしょうね,今という時代には。

● 4日に第9話から第11話(最終回)まで。何回でも泣けますよ。
 第10話で,綾瀬はるかの咲が兄の恭太郎に「医術ではなくて,南方先生じゃないのか。お前が夢中になったのは」と問われ,「私の出る幕などございませぬ」と答えるシーン。ぼくはこのシーンを見るために,このドラマはあると思っていてね。
 状況をすべてを受け入れて覚悟を決めている。凛とした,しかし苦渋に満ちた,若い女の決断の潔さ。それをほぼ完璧に表現した綾瀬はるかの演技。リアルタイムの放送でこのシーンを見て,ぼくは彼女のファンになったのですよ。

● 再確認したのは他にもあって,中谷美紀と柴咲コウが似ていること。顔の造作もさることながら,表情の作り方とかそっくりだと思った。
 この2人,かなり被りますよねぇ。いや,どちらも大変な女優さんであるわけですが。

● 5日からPart2の「JIN -仁- 完結編」を。2011年に放送されたもの。もちろん,こちらもリアルタイムで見ている。
 第1話から5話までを見た。第3話で南方先生のプロポーズを咲は断っている。これ,けっこう大事な伏線になるんだっけ。細かいことは忘れている。であればこそ,二度目も楽しめるわけだけど。

● で,今日(6日),第6話~第11話(最終回)を。
 Part1に比べると,各回の独立性が強い。また,大政奉還や竜馬暗殺などの史実とのつながりを滑らかにするために,南方仁を女々しく造型せざるを得なかったのかとも思った。
 特に竜馬暗殺の回では,南方はやらなくてもいいことをわざわざやって,最悪の結末を招いてしまった。南方が動かなければ,恭太郎を竜馬の刺客に仕立てあげなくてもすんだろう。

● そうしなくては次につながらないわけだけれども,どうも展開が不自然というか,大味になってしまった。ぼくはそのように感じた。
 たとえば,竜馬の最期まで描くのであれば,妻のお龍さんが一度も登場しないのはいかにも不自然だ。登場させてしまってはドラマの展開がぶち壊しになってしまうのはわかる。竜馬と野風の関係性の描き方にも訂正が必要になる。
 ではあっても,何とはなしのモヤモヤ感が残るんだな。

● ドラマとしての面白さ,吸引力は,Part1の方が勝ると思う。野風にはやはり花魁として登場してもらった方が収まりがいいというのもある。

● Part2では咲が圧倒的に強くて賢人。先が見えない状況で骨太の行動指針を示す。南方や恭太郎はそれに従うだけ。個々の戦闘では強さを発揮するが,それは母親に全部用意してもらって登校する小学生のようなものだ。
 Part1では花魁の野風がその役割を分担したが,Part2では野風は後ろに引っ込むので,咲が一手に引き受ける形になる。途中から,主役は綾瀬はるかになっていた。と思わせるほどに咲の存在感が大きくなった。

● TVの再放送でも2桁の視聴率があったらしい。コロナに覆われている今の状況も追い風になったろう。が,基本はドラマの持つ力でしょうね。脚本,撮影,音楽・・・・・・。
 あとキャスト。大沢たかお,綾瀬はるか,内野聖陽,中谷美紀,麻生祐未,小出恵介,桐谷健太,小日向文世,武田鉄矢など,錚々たる俳優陣だが,それら俳優陣にとってもこのドラマはそれぞれが自身の代表作に挙げるものになったろう。

● あぁ,忘れるところだった。喜市を演じた伊澤正樹を逸してはいかんねぇ。「ALWAYS 三丁目の夕日」の須賀健太を彷彿させる。
 8歳でここまで注目されては,この先が多難かもしれないと余計な心配をしたくなるほどだった。