2015年12月19日土曜日

2015.12.19 原節子さん追悼映画会「晩春」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 1949年の小津安二郎作品。2010年12月に鹿沼市民文化センターの名作映画会で見ている。今回が2回目。
 と思っていたんだけど,2010年12月には見ていないのだった。いつどこで見たんだ?

● 父親(笠智衆)と娘(原節子)の交流。母親は早くに亡くなっているのだろう,ずっと娘が父親の世話をしてきた。
 娘は父親が自分の母親以外の女性と再婚することを不潔だと感じているらしい。娘が中学生や高校生ならばそれもわかるんだけど,劇中の娘は27歳だ。27歳でそのように考えるのは,少しくあり得ないように思われる。

● 娘が「おもらいになるの? おもらいになるのね? 奥さん」と父親に迫るところがある。これなんか恋人に対するがごとくだ。
 父と娘の間に,夫婦に似た情感が通うことがあるのだろうと思うほかはない。ぼくには娘がいないので,どうにもここは雲を掴むような話になるのだが。

● ともかく。自分は再婚するからおまえも嫁に行け,自分の面倒をみている必要はない,と娘に嘘をつき,娘を縁づける。
 その間の笠智衆の演技はじつにどうも淡々としたもので,力みやわざとらしさは1ミリも見られない。ずっとポーカーフェイスだ。役者の存在感は薄ければ薄いほどよいと考えているのか。

● 娘が嫁いだ日。式が終わって,自宅に戻り,来客もすべて去って,一人になったとき。
 リンゴの皮を剥いていた父親が突然うなだれて,リンゴを取り落とす。ここでこの映画は終わるんだけれども,ずっとポーカーフェイスでいたのは,このシーンのためだったかと思わせる。
 この演技だけが唯一,父親が娘と離れる辛さ,寂しさを抑えに抑えた動作で表現したところだった。

● 昨日は「東京物語」を上映したようだ。南図書館でも26日に「晩春」と「東京物語」を上映する。何度見てもいい映画だ。けれども,貪るのはよろしくないでしょうね。
 アマゾンを見ると,DVDが500円で買える。そういう時代なんだな。フィルムを一人占めして,自分専用にするなんて考えられない贅沢だった。それがデジタル化のおかげで(それと,著作権が切れたおかげで)現実のものになったわけだけれども,そうなってみると,そんなものは贅沢でも何でもなく,ただの寂しい行為に過ぎないことがわかった。

2015.12.19 宇都宮市立東図書館20世紀名画座 「赤い靴」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 東図書館の「20世紀名画座」は,土曜日に催行される。10時からと14時からの2回上映。もちろん,毎週やっているわけではないけれども,往年のこうした映画を拾っていけるのはありがたい。
 昔は名画座っていうのが興行的にも成り立っていた。ロードショーの半額くらいの料金で3本立てとかね。つらつら思んみるに,娯楽の選択肢が今と比べれば圧倒的に少なかったんでしょうね。
 選択肢が少ないと教養主義が幅を利かせることになって,名画座もその流れに乗っていたものかもしれない。もちろん,教養云々以前に面白かったから,見に行っていたわけですけどね。

● 東図書館ではもうひとつ,日本映画の上映も継続してやっていて,こちらは金曜日。
 これに参加できるのは,リタイアしたお年寄りだけかと思うんだけど,興行的には成り立たなくなったことを公共セクターがやってくれて,ありがたいですよ,と。

● 「赤い靴」は1948年公開のイギリス映画。「赤い靴」というと,ぼくなんかは,横浜の波止場から異人さんに連れられて行っちゃった女の子が思い浮かぶんだけど,もちろんそれは無関係。アンデルセン童話の「赤い靴」がモティーフになっている。
 キャストはプリマに抜擢されるヴィッキー(ヴィクトリア・ペイジ)にモイラ・シアラー,ヴィッキーを抜擢した興行種ボリス・レルモントフにアントン・ウォルブルック,この興行で音楽を担当し,ヴィッキーと恋仲になるジュリアン・クラスターにマリウス・ゴーリング。

● この映画の第一の見せ場は,タイトルのとおりだ。つまり,劇中バレエの「赤い靴」だ。セリフなしのダンスシーンがずっと続く。
 死ぬまで踊り続けなければならないプリマ。それを演じるヴィッキー(を演じるモイラ・シアラー)の可憐さ。

● もうひとつ。レルモントフは「赤い靴」の成功に気をよくして,ヴィッキーをジゼル,白鳥の湖など,メジャーな作品の主役に使って,世界を興行して回ろうとする。
 その映像の中に,コッペリアを演じるヴィッキーが10秒程度だろうか,出てくるんだけど,こんなチャーミングなコッペリアは見たことがない。

● 「赤い靴」をはいたダンサーは死ぬまで踊り続けなければならない。それを主人公ヴィッキーの人生にもかぶせていく趣向。
 レルモントフと対立したジュリアンは団を出ていく。ヴィッキーもジュリアンにしたがう。しかし,踊る機会がなくなる。踊りは自分の人生そのものだとヴィッキーは思っている。
 が,ジュリアンを裏切ることはできない。ギリギリのところでヴィッキーは死を選ぶ。この場面で悪役はいない。レルモントフにもジュリアンにも,ヴィッキーを死に至らしめた責任を問うことは難しい。

● ぼく一個は,ジュリアンを振りきって,バレエを選んで欲しかったかなと思うんだけどね。
 誰かのために自分を殺せる度合いは,男よりも女のほうが大きい。これが女の可愛らしさの源であるし,女に凄みをもたらす原動力でもある。
 結局,ヴィッキーはジュリアンに「赤い靴を脱がせて」と告げて死んでいくのだから,ジュリアンのために“バレエ=自分の人生”を殺すことを選んだのだ。

● あと,この映画で面白かったのは,当時のヨーロッパの上流クラスの暮らしぶりだ。レルモントフには常時,執事というのか召使いというのか,世話係がついていて,煙草を吸うんでも火は自分ではつけないし,灰皿だって向こうからやってくるのだ。
 こういう暮らしの伝統を持つヨーロッパ人と,それができないぼくらとでは,たとえばホテルでの過ごし方や,初対面の人との接し方などに,相互に理解不能なほどの違いが出るのかもしれないね。ヨーロッパ人が羨ましいとはまったく思わないけどね。

● この映画に出てくるロンドンやパリは,カオスに満ちている。東京は焼け野原になっていたわけだけど。
 馬車と内燃機関で動くバスが同じ道路で競合する。そこに,蒸気機関の列車が加わる。全部合わせても,交通需要を満たすことは難しかったようだ。ゆえに,煮えたぎっているような雑踏が生じる。
 良くいえば,活気がある。普通にいえば,秩序がない。悪くいえば,肺を病みそうである。

2015年11月21日土曜日

2015.11.21 宇都宮市立東図書館20世紀名画座 「バグダッドの盗賊」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 1940年のイギリス映画。ウォルシュが監督を務めた同名のアメリカ映画とは別のもの。ファンタジーまたファンタジーの娯楽映画。

● バグダッドの愚かな王アーマッド(ジョン・ジャスティン)は宰相ジャファル(コンラート・ファイト)にまんまと騙され,牢屋に入れられ,殺されそうになる。
 それを助けたのが,「バグダッドの盗賊」の少年アブウ(サブウ)。
 が,ジャファルの魔法で,アーマッドは盲目に,アブウは犬にされてしまう。これは,どうにも腑に落ちない理由で元に戻るんだけども,アーマッドはどこまでも脳天気で,バスラの姫(ジューン・デュプレエ)にひと目ぼれ。アブウはアーマッドの恋のためにひと肌もふた肌も脱ぐ。
 以後はアブウの冒険譚。絶体絶命のときにジニーが登場。さらに,お伽の国で空飛ぶ絨毯を手に入れ,ジャファルによって死刑を執行される寸前だったアーマッドと姫を救いだす。
 アーマッドはめでたく王位に復帰し,アブウは新しい冒険を求めて(つまり,秩序を嫌って),空飛ぶ絨毯でバグダッドを去っていく。
 めでたし,めでたし。

● アーマッドが,何でもあったが自由だけはなかったと言ったのに対して,アブウは,何もなかったけど自由だけはあったと返す。
 ステレオタイプだけれども,いいねぇ,このやりとり。

● 結局,最後まで自由を優先したアブウがこの映画のヒーローだ。少年の機知と少年らしからぬ大人びた大局観がこの映画の魅力の源泉。
 新しい冒険を求めたアブウに幸いあれ。

● この映画は宇都宮市立視聴覚ライブラリー(の職員)が上映してくれているわけだけども,16㎜フィルムを使っているわけではない。DVDだ。
 そのDVDは今どきだからだいぶ安くなっているはずだ。要するに,個人でもDVDプレーヤーなりパソコンで観ることができる。

● この映画鑑賞会は無料だけれども,時間コストを考えると,わざわざ東図書館まで自分を運んでいくより,DVDを買って自宅で観たほうが安い。
 それでも一人でこの映画を観る気にはならないね。

2015年10月18日日曜日

2015.10.18 宇都宮市立南図書館名作映画会 「或る夜の出来事」

宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール

● 1934年のアメリカ映画。富豪の娘エリー(クローデット・コルベール)と新聞記者ピーター(クラーク・ゲーブル)の恋物語。
 といっても,ふたりとも大人なわけで,何より映画なわけで,そこは様々なエピソードやくすぐりを利かせて,愉快痛快な内容になっている。最後はハッピーエンド。

● クラーク・ゲーブルって,日本でいえば三船敏郎のような役者ですか。どんな役をやっても,クラーク・ゲーブルだ。役に没入するというより,あらゆる役を自分に引きずりこむみたいな。

● エリーの父親アンドリュース(ウォルター・コノリー)も面白い役どころ。真剣に愚かな娘を案じていたことが最後にわかる仕掛けになっている。あのままウェストリー(ジェムソン・トーマス)と結婚していたら,必ずエリーは後悔することになったはずでね。
 が,ピーターとの結婚も先が思いやられると思うんだけどねぇ。彼ほどの男は必ず浮気するからな。

 途中で,お金がなくなってヒッチハイクでニューヨークをめざすことになる。エリーが令嬢らしからぬ色じかけで車を止めるのは,方程式どおり(今では古くて使われなくなっているのだろうけど)。安心して見ていることができた。

● こういう展開はリアルではあり得ない。ましてさえない小市民かつ凡人の自分には絶対に起こらない。
 それをスクリーンで追体験して,束の間のカタルシスを味わえるのが,こうした映画の醍醐味なのだろう。

● 名画座が消滅して久しい。今ならDVDをただに近い値段で借りていくらでも見られるのだろう。ひょっとすると,ネットにも転がっているのかもしれない。
 が,そうやって見たいとは思わないんだよなぁ。やはり他の人たちと一緒に,かつてと同じ大きさのスクリーンで見たい。意味のないノスタルジアかもしれないけれど。
 宇都宮市の図書館や視聴覚ライブラリーではけっこうマメに公開してくれてて,ありがたい。

2015年10月17日土曜日

2015.10.17 宇都宮市立東図書館20世紀名画座 「我が道を往く」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 公開は1944年。昭和19年。つまり,アメリカが太平洋戦争を戦っていた最中(しかし勝利は決定的になっていた)のことだ。
 が,この映画に戦争臭はまったくない。

● 舞台はニューヨークの下町(場末?)にあるセント・ドミニク教会。45年前にこの教会を建てて,ずっと神父を務めているフィッツギボン老神父(バリー・フィッツジェラルド)のところに,若いチャック・オマリー神父(ビング・クロスビー)が助手として赴任してくる。
 じつは,この教会は赤字でどうにもならない状態だったため,おまえが行って立て直してこいと“司教さま”の命令を受けた隠密剣士(?)だった。

● オマリーは歌もピアノも巧く,作曲の才能もあって,札付きの不良少年たちを聖歌隊に取りこんでしまう人なつこさを備えていて,美人のオペラ歌手リンデン(リーゼ・スティーヴンス)に思いを寄せられる伊達男である。
 羨ましい限りだ。主人公はかくあるべし。

● 終盤,フィッツギボンが心血を注いだ教会が焼け落ちてしまう。
 が,オマリーが作った曲がレコード会社に売れ,再建のめどがついたところで,オマリーに異動辞令が出る。

● 18歳の家で娘キャロル(ジーン・ヘザー)がキュート。楽天的でバカっぽくて,でも情があってほんとは賢いんだぞ,という役どころ。
 メインはオマリーとフィッツギボンの絡み。フィッツギボンを演じたバリー・フィッツジェラルドが,この映画の屋台骨を支えている。

● タイトルの「我が道を往く」は劇中でオマリーが歌う歌から取ったものと思われる。オマリーもフィッツギボンもリンデンもキャロルも,わが道を行っているわけだけれども。
 もちろん,映画の中の話だから,おとぎ話ではある。そのおとぎ話のカタルシス効果を味わえる。

2015年7月12日日曜日

2015.07.12 宇都宮市立視聴覚ライブラリー名画鑑賞会 「ネイチャー」

宇都宮市東市民活動センターホール

● ここに東市民活動センターや市役所出張所などいくつかの公共施設が集まっている。メインは東図書館。 視聴覚ライブラリーは東図書館の3階にある。
 で,この映画会の主催者は視聴覚ライブラリーとなっている。

● 会場のホールは,南図書館のサザンクロスホールと同じ造り。
 宇都宮市のこの種の施設は,施設の自主性を重んじているんだろうか。南図書館では“南図書館の歌”まで作っている。サザンクロスホールも南図書館が名前を募集したのだろう。
 この点で,東図書館は後れを取ったか。南図書館が後続ランナーのメリットを活かしたってことかもしれない。

● ともあれ。「ネイチャー」はイギリスのBBC EARTHが2014年に公開した。監督はパトリック・モリスとニール・ナイチンゲール。
 4K3Dカメラ使用とうたっているが,その効果のほどはといえば,ぼくにはあまりよくわからないというのが正直なところ。

● 舞台はアフリカ。ジャングル,ナミブ砂漠,サバンナ,ヴィクトリアの滝,シミエン山地(エチオピア),海の中。
 登場人物(?)は,軍隊蟻,ゴリラ,カメレオン,シャベルカナヘビ,フラミンゴ,アフリカ象,ナイル鰐,ヌー,ゲラダヒヒ,ウミガメなど。

● タイトルのとおり,雄大かつ繊細な大自然を高画質で記録したものだから,安心して見ていられる。ほとんどの人は,テレビ(特にNHK)で同じような映像を見たことがあるはずだから,既視感に寄りかかって見ることができる。

● 小学生や幼児もかなりいた。親が連れてきている。子どもの教育によろしいと信じているんだろう。この日は猛暑だったから,涼しいところで安心映画を見るのは,なかなか快適でもあった。暑い日の90分の健全娯楽。
 ちなみに,近くにある市営プールも大繁盛だった。

2015年6月21日日曜日

2015.06.21 宇都宮市立南図書館名作映画会 「シャレード」

宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール

● 1963年のアメリカ映画。主演はオードリー・ヘプバーンとケーリー・グラント。
 スリルとサスペンスとお笑い。ゴール近くでのどんでん返し。一級の娯楽映画だと思った。
 ピーター(ケーリー・グラント)はレジーナ(オードリー・ヘプバーン)の敵なのか味方なのか。最後までドキドキさせられた。

● ウォルター・マッソーのとぼけた味わいと終盤での迫真さが印象的。
 最後になってわかる真相はちょっとルール違反に近いのじゃないかとも思えるんだけど,そういうことだったのかという爽快さも残す。

● そんなことより,オードリー・ヘプバーンの美しさと,コケティッシュな役柄を賞味するだけでも,見た価値があったと思いますよ。
 ヘプバーンといえば「ローマの休日」があまりに有名で,これはぼくも数回見ている。ほかにも作品はたくさんある。片っ端から見てみたいと思った。
 できればDVDじゃなくて,今回のように大きなスクリーンで大勢の人と見たいんだけどね。

● 商業的に成り立つ余地はないから,今回のように公的機関がじゃんじゃん上映してくれると助かるねぇ。
 というわけで,宇都宮市立図書館の催しには感謝感激雨あられ。

● にしても。俳優さんって亡くなったあとも,こうしてスクリーンの中で生きていられる。羨ましいとは思わないけれども,妙に不思議に感じることがある。

2015年4月18日土曜日

2015.04.18 宇都宮市立東図書館20世紀名画座 「私を野球につれてって」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 映画って,DVDでいくらでも観られる。名画だろうと何だろうと,古い映画のレンタル料は驚くほど安い。買ったって知れている。新作映画1本分で,数本のDVDが買える。
 これじゃ,昔はあった名画座も,消滅するしかないですよね。名画と評価が確定している映画であっても,昔の映画をお金を取って上映するのは不可能だろう。

● したがって,公共機関が無料で上映するしかないというか。逆に,DVDじゃいやだ,大きなスクリーンで大勢で見たいよということになれば,そうした公共機関の催しをチェックするしかないでしょうね。
 
● ということで,宇都宮市立東図書館で「私を野球につれてって」を観てきましたよ,と。
 1949年の公開。昭和でいえば24年。コミカルなミュージカル映画。出演者はフランク・シナトラ,ジーン・ケリー,エスター・ウィリアムズ,ベティ・ギャレット。
 エスター・ウィリアムズが主役格。ジーン・ケリーの軽いお色気が魅力。当時としては軽くもなかったのかもしれないけど。

● 健全な娯楽映画という感じ。つまり,映画の王道を行くもの。ときどき笑って,このあとはこういうふうに展開するんだろうなと思うとそのとおりになって,っていう。
 ずっしりとした問題を投げかけられるのも場合によってはいいけれど。

● あとは,ミュージカルの部分。フランク・シナトラとエスター・ウィリアムズがその大半を担うわけだけど,ここがしっかりしているとビッと締まる。
 この映画はここでもっている。それは間違いないな。

● で,この映画,もう1回観たいかというと,1回で気がすんだ感じ。でも,1回は観ておきたかった。

2015年4月5日日曜日

2015.04.05 宇都宮市立南図書館名作映画会 「西鶴一代女」

宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール

● 開演は13時30分。入場無料。
 監督は溝口健二。1952年の作品。原作は井原西鶴の「好色一代女」。
 田中絹代演じるお春の不幸としかいえない一生を描く。
 御所にあがっていたお春が,若党の勝之介(三船敏郎)に思いを寄せられ,駈け落ちするもうまくいくはずがなく,都を追われる。が,大名の側室にあがることになり,めでたく世継ぎをもうける。
 でも・・・・・・。父親に島原に売られたり,いろいろあって,最後は夜鷹に身を落とす。

● 最後の最後に,お春が生んだ子が大名の跡継ぎになり,お城で一緒に暮らせると喜ぶ。
 けれども,夜鷹にまで身を落としていたのをお城の重役たちが問題視し,幽閉されることになる。それを潔しとしないお春はお城を抜けだして,乞食をしながら巡礼の旅に出る。

● 貴種流離譚というのとも違う。何なのかこれは。
 純粋だけれども後先を考えない勝之助に思いを寄せられ,それを拒みきれなかったのが破綻の始まり。
 要するに,お春の不幸は彼女が美人で気立てがよかったのが原因だ。美人に生まれてしまったのが,彼女の不幸を作った。美人なら気も強くないといけないねぇ。
 美人なばっかりによけいな不幸を抱え込む女性って,今でもいるのかもしれない。女優とか局アナなんかに多いのじゃないかなぁ。

● 海外で高い評価を受け,ヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞。ウィキペディアによると「田中絹代も一世一代の名演を披露」とある。
 彼女は庶民的なおかみさんが似合う顔立ちですよね。花魁姿にはちょっと違和感を覚えたんですけどね。

● 生活保護なんてのはない時代だから,落ちだすときりがない。過酷な時代ではある。これじゃ長生きはできない。
 江戸時代の風流とか雅というのが,この作品で描かれているようなものだとすると,雅の元はやせ我慢ということになる。これはよくわかる。今でもお洒落の源泉はやせ我慢だからね。ぼくはそういう我慢はしたくないけれども。

2015年3月28日土曜日

2015.03.28 矢板市立図書館映画上映会-宇宙戦争 ファイナルインパクト

矢板市立図書館 視聴覚室

● 入り口にポスターが貼られていた。ただし,会場に来たのはわずかに4名。館内にはそれなりの数の来館者がいたので,もちろん,映画のことは知っているだろう。
 それでも4人しかいなかったっていうのはねぇ。

● ひょっとすると,この映画をすでに見ている人たちだったんですかねぇ。もしそうなら,二度は見なくていいやと思って当然かも。

● B級娯楽映画といっていいんでしょうね。地球外生命体が攻めてくるというわけなんだけど,この地球外生命体というのがワケがわからない代物だ。生命を感じさせないのでね。
 暴れているんだけど,なんで暴れているんだかわからない。彼らの意図を説明してほしかったかなぁ。地球を侵略しに来て,現に侵略行為をやってるよっていうだけじゃ,リアリティが薄すぎるっていうか。

● 水と間違えて漂白剤を飲まされて苦しむ女性を安楽死させようと考える,主人公のマリッサ。どうも展開に無理がある感じ。
 これ,たんなる悪趣味じゃないですか。ゴタゴタと色を塗りたくればいいってもんじゃない。あるいは,狙ってそうしているのか。

● 最後にエイリアンの弱点(と覚しきところ)が描写され,ひょっとしたら勝てるかもしれないと思わせて終わる。
 この終わり方は悪くないと思った。

2015年2月22日日曜日

2015.02.22 宇都宮市立南図書館名作映画会 「風と共に去りぬ」

宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール

● DVDのレンタルショップで借りられるんでしょ。だけど,こいうのって一人で観ても面白くなさそうだ。
 それに,大きな画面で観たい。ぼくはノートパソコンしか持っていないので,少々物足りない。音響の問題もある。

● ということで,雀宮にある南図書館まで出かけてみた。ここでは年に数回の上映会を開催しているんだけれども,他の予定と重なることが多くて,出かけたのは2013年1月以来となる。
 ホールはぎっしり満席。2年前は空席のほうがずっと多かった。しかも,多くは高齢者だった。が,今回は年齢もだいぶばらけていた。
 知名度があがってきたのか,今回は「風と共に去りぬ」だったからなのか。

● 「風と共に去りぬ」は数十年前,当時あった名画座で観たことがある。観た記憶はあるんだけど,どんな映画だったのかまったく憶えていない。身の丈に合わないのに,背伸びして観てたんだろう。
 1時半に上映開始。途中で20分の休憩をいれて,終わったのは5時半。とにかく長い。

● おかしかったのは,レット・バトラーもアシュレー・ウィルクスも,後半(南北戦争が終わったあと)はダメンズに変身してしまうところ。
 バトラーなんか,そんなことわかっててスカーレットと結婚したはずなのに,彼女の気持ちが自分に向かないことに嫉妬する。アシュレーは悩める青春坊やになってしまう。
 数十年前はこういうところについていけなかったのかもしれない。

● 対して,女たちは逞しい。スカーレットがその典型だけど,メラニーもマミーも,それぞれのやり方で激動を乗りきっていく。
 覚悟を決めたら女は強いという分かりきった教訓を引きだすのでは芸がないけれども,現実でも感じるそのことが,画面からビンビン届いてくる。

● よくできた娯楽映画なのだろう。ヴィヴィアン・リーやオリヴィア・デ・ハヴィランドのあきれるほどの美しさ。使用人(奴隷なのだろう)を演じたハティ・マクダニエルの絶妙な味わい。彼女はこの役で,黒人初の助演女優賞を受賞したんでしたっけ。
 ほとんどをセットで撮影していると思われるんだけど,戦闘場面にもリアリティを感じる。実際の戦闘場面はこうじゃないのかもしれない。リアリティを感じると言ったって,そのリアルがわかっていない。
 が,こちらがそうだろうと思っている空想現実をきちんと突いてくる。

● 後半でのアシュレーとミード医師の酔っぱらった演技はお見事。観客も本当に酔っているのだといったんは思わされる。じつは劇中でも演技だったわけですが。
 この程度の演技はごく初歩的なものなんでしょうね。にしても,巧いものだ。

● アメリカの奴隷制度に関しては,学校の歴史の勉強で悲惨なものだったと擦り込まれているけれども,ここに登場する奴隷たちはけっこうユーモラスで救いがある。マミーなんか,始終,スカーレットに説教している。
 奴隷といったって機械じゃなくて人間なんだから,使う側にも器量が要求されたに違いない。

● というわけで,わざわざ観に行って大正解。これ,DVDを借りたとしても,最後までは観きれなかったんじゃないかと思う。これだけ長いと。
 強制されないと最後まで観るのは難しいという印象。けれども,観終えたあとは,いや,いいものを観たという満足感に包まれる。