2015年6月21日日曜日

2015.06.21 宇都宮市立南図書館名作映画会 「シャレード」

宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール

● 1963年のアメリカ映画。主演はオードリー・ヘプバーンとケーリー・グラント。
 スリルとサスペンスとお笑い。ゴール近くでのどんでん返し。一級の娯楽映画だと思った。
 ピーター(ケーリー・グラント)はレジーナ(オードリー・ヘプバーン)の敵なのか味方なのか。最後までドキドキさせられた。

● ウォルター・マッソーのとぼけた味わいと終盤での迫真さが印象的。
 最後になってわかる真相はちょっとルール違反に近いのじゃないかとも思えるんだけど,そういうことだったのかという爽快さも残す。

● そんなことより,オードリー・ヘプバーンの美しさと,コケティッシュな役柄を賞味するだけでも,見た価値があったと思いますよ。
 ヘプバーンといえば「ローマの休日」があまりに有名で,これはぼくも数回見ている。ほかにも作品はたくさんある。片っ端から見てみたいと思った。
 できればDVDじゃなくて,今回のように大きなスクリーンで大勢の人と見たいんだけどね。

● 商業的に成り立つ余地はないから,今回のように公的機関がじゃんじゃん上映してくれると助かるねぇ。
 というわけで,宇都宮市立図書館の催しには感謝感激雨あられ。

● にしても。俳優さんって亡くなったあとも,こうしてスクリーンの中で生きていられる。羨ましいとは思わないけれども,妙に不思議に感じることがある。

2015年4月18日土曜日

2015.04.18 宇都宮市立視聴覚ライブラリー 20世紀名画座 「私を野球につれてって」

宇都宮市立東図書館 2階集会室

● 映画って,DVDでいくらでも観られる。名画だろうと何だろうと,古い映画のレンタル料は驚くほど安い。買ったって知れている。新作映画1本分で,数本のDVDが買える。
 これじゃ,昔はあった名画座も,消滅するしかないですよね。名画と評価が確定している映画であっても,昔の映画をお金を取って上映するのは不可能だろう。

● したがって,公共機関が無料で上映するしかないというか。逆に,DVDじゃいやだ,大きなスクリーンで大勢で見たいよということになれば,そうした公共機関の催しをチェックするしかないでしょうね。
 
● ということで,宇都宮市立東図書館で「私を野球につれてって」を観てきましたよ,と。
 1949年の公開。昭和でいえば24年。コミカルなミュージカル映画。出演者はフランク・シナトラ,ジーン・ケリー,エスター・ウィリアムズ,ベティ・ギャレット。
 エスター・ウィリアムズが主役格。ジーン・ケリーの軽いお色気が魅力。当時としては軽くもなかったのかもしれないけど。

● 健全な娯楽映画という感じ。つまり,映画の王道を行くもの。ときどき笑って,このあとはこういうふうに展開するんだろうなと思うとそのとおりになって,っていう。
 ずっしりとした問題を投げかけられるのも場合によってはいいけれど。

● あとは,ミュージカルの部分。フランク・シナトラとエスター・ウィリアムズがその大半を担うわけだけど,ここがしっかりしているとビッと締まる。
 この映画はここでもっている。それは間違いないな。

● で,この映画,もう1回観たいかというと,1回で気がすんだ感じ。でも,1回は観ておきたかった。

2015年4月5日日曜日

2015.04.05 宇都宮市立南図書館名作映画会 「西鶴一代女」

宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール

● 開演は13時30分。入場無料。
 監督は溝口健二。1952年の作品。原作は井原西鶴の「好色一代女」。
 田中絹代演じるお春の不幸としかいえない一生を描く。
 御所にあがっていたお春が,若党の勝之介(三船敏郎)に思いを寄せられ,駈け落ちするもうまくいくはずがなく,都を追われる。が,大名の側室にあがることになり,めでたく世継ぎをもうける。
 でも・・・・・・。父親に島原に売られたり,いろいろあって,最後は夜鷹に身を落とす。

● 最後の最後に,お春が生んだ子が大名の跡継ぎになり,お城で一緒に暮らせると喜ぶ。
 けれども,夜鷹にまで身を落としていたのをお城の重役たちが問題視し,幽閉されることになる。それを潔しとしないお春はお城を抜けだして,乞食をしながら巡礼の旅に出る。

● 貴種流離譚というのとも違う。何なのかこれは。
 純粋だけれども後先を考えない勝之助に思いを寄せられ,それを拒みきれなかったのが破綻の始まり。
 要するに,お春の不幸は彼女が美人で気立てがよかったのが原因だ。美人に生まれてしまったのが,彼女の不幸を作った。美人なら気も強くないといけないねぇ。
 美人なばっかりによけいな不幸を抱え込む女性って,今でもいるのかもしれない。女優とか局アナなんかに多いのじゃないかなぁ。

● 海外で高い評価を受け,ヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞。ウィキペディアによると「田中絹代も一世一代の名演を披露」とある。
 彼女は庶民的なおかみさんが似合う顔立ちですよね。花魁姿にはちょっと違和感を覚えたんですけどね。

● 生活保護なんてのはない時代だから,落ちだすときりがない。過酷な時代ではある。これじゃ長生きはできない。
 江戸時代の風流とか雅というのが,この作品で描かれているようなものだとすると,雅の元はやせ我慢ということになる。これはよくわかる。今でもお洒落の源泉はやせ我慢だからね。ぼくはそういう我慢はしたくないけれども。

2015年3月28日土曜日

2015.03.28 矢板市立図書館映画上映会-宇宙戦争 ファイナルインパクト

矢板市立図書館 視聴覚室

● 入り口にポスターが貼られていた。ただし,会場に来たのはわずかに4名。館内にはそれなりの数の来館者がいたので,もちろん,映画のことは知っているだろう。
 それでも4人しかいなかったっていうのはねぇ。

● ひょっとすると,この映画をすでに見ている人たちだったんですかねぇ。もしそうなら,二度は見なくていいやと思って当然かも。

● B級娯楽映画といっていいんでしょうね。地球外生命体が攻めてくるというわけなんだけど,この地球外生命体というのがワケがわからない代物だ。生命を感じさせないのでね。
 暴れているんだけど,なんで暴れているんだかわからない。彼らの意図を説明してほしかったかなぁ。地球を侵略しに来て,現に侵略行為をやってるよっていうだけじゃ,リアリティが薄すぎるっていうか。

● 水と間違えて漂白剤を飲まされて苦しむ女性を安楽死させようと考える,主人公のマリッサ。どうも展開に無理がある感じ。
 これ,たんなる悪趣味じゃないですか。ゴタゴタと色を塗りたくればいいってもんじゃない。あるいは,狙ってそうしているのか。

● 最後にエイリアンの弱点(と覚しきところ)が描写され,ひょっとしたら勝てるかもしれないと思わせて終わる。
 この終わり方は悪くないと思った。

2015年2月22日日曜日

2015.02.22 宇都宮市立南図書館名作映画会 「風と共に去りぬ」

宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール

● DVDのレンタルショップで借りられるんでしょ。だけど,こいうのって一人で観ても面白くなさそうだ。
 それに,大きな画面で観たい。ぼくはノートパソコンしか持っていないので,少々物足りない。音響の問題もある。

● ということで,雀宮にある南図書館まで出かけてみた。ここでは年に数回の上映会を開催しているんだけれども,他の予定と重なることが多くて,出かけたのは2013年1月以来となる。
 ホールはぎっしり満席。2年前は空席のほうがずっと多かった。しかも,多くは高齢者だった。が,今回は年齢もだいぶばらけていた。
 知名度があがってきたのか,今回は「風と共に去りぬ」だったからなのか。

● 「風と共に去りぬ」は数十年前,当時あった名画座で観たことがある。観た記憶はあるんだけど,どんな映画だったのかまったく憶えていない。身の丈に合わないのに,背伸びして観てたんだろう。
 1時半に上映開始。途中で20分の休憩をいれて,終わったのは5時半。とにかく長い。

● おかしかったのは,レット・バトラーもアシュレー・ウィルクスも,後半(南北戦争が終わったあと)はダメンズに変身してしまうところ。
 バトラーなんか,そんなことわかっててスカーレットと結婚したはずなのに,彼女の気持ちが自分に向かないことに嫉妬する。アシュレーは悩める青春坊やになってしまう。
 数十年前はこういうところについていけなかったのかもしれない。

● 対して,女たちは逞しい。スカーレットがその典型だけど,メラニーもマミーも,それぞれのやり方で激動を乗りきっていく。
 覚悟を決めたら女は強いという分かりきった教訓を引きだすのでは芸がないけれども,現実でも感じるそのことが,画面からビンビン届いてくる。

● よくできた娯楽映画なのだろう。ヴィヴィアン・リーやオリヴィア・デ・ハヴィランドのあきれるほどの美しさ。使用人(奴隷なのだろう)を演じたハティ・マクダニエルの絶妙な味わい。彼女はこの役で,黒人初の助演女優賞を受賞したんでしたっけ。
 ほとんどをセットで撮影していると思われるんだけど,戦闘場面にもリアリティを感じる。実際の戦闘場面はこうじゃないのかもしれない。リアリティを感じると言ったって,そのリアルがわかっていない。
 が,こちらがそうだろうと思っている空想現実をきちんと突いてくる。

● 後半でのアシュレーとミード医師の酔っぱらった演技はお見事。観客も本当に酔っているのだといったんは思わされる。じつは劇中でも演技だったわけですが。
 この程度の演技はごく初歩的なものなんでしょうね。にしても,巧いものだ。

● アメリカの奴隷制度に関しては,学校の歴史の勉強で悲惨なものだったと擦り込まれているけれども,ここに登場する奴隷たちはけっこうユーモラスで救いがある。マミーなんか,始終,スカーレットに説教している。
 奴隷といったって機械じゃなくて人間なんだから,使う側にも器量が要求されたに違いない。

● というわけで,わざわざ観に行って大正解。これ,DVDを借りたとしても,最後までは観きれなかったんじゃないかと思う。これだけ長いと。
 強制されないと最後まで観るのは難しいという印象。けれども,観終えたあとは,いや,いいものを観たという満足感に包まれる。

2014年1月19日日曜日

2014.01.19 第5回鹿沼市民文化センター名作映画祭

鹿沼市民文化センター 大ホール

● 東京国立近代美術館フィルムセンターが所蔵しているフィルムを全国各地で放映するという催し。栃木でも鹿沼市民文化センターのほか,時期を分けて何ヶ所かでやっている。
 今回は成瀬巳喜男監督の4作品。「めし」(1951年),「おかあさん」(1952年),「浮雲」(1955年),「乱れ雲」(1967年)。
 放映開始は10時半。チケットは500円(前売券)。

● 「めし」は上原謙と原節子の夫婦に,島崎雪子の姪が絡む。戦後数年しか経っていない時期に,このままの平凡な人生でいいのかしら,と思い悩む女性を描いた映画が存在したということに,驚く。
 映画に限らず,人間の表現欲というのは相当にしぶといもので,この種の驚きには事欠かないらしいのだが。

● 登場する夫婦は,しかし,当時の庶民ではないだろう。何といっても,この時期に米だけのごはんを食べているんだからね。当時の日本だと,大半の地域では麦飯(米麦の割合は半々ぐらいか)を食べていたろうから。
 作中人物は,当時の夜行列車で大阪から東京まで移動するわけだけど,これだってね,今の感覚からすると,国際線のビジネスシートくらいになるのかも。
 見ようによっちゃ,呑気な上流奥様のお気楽な悩みってことにもなる。もちろん,林芙美子の原作があるんだから,ここにあまり時代を絡ませててはいけないわけだけど。

● もっと言うと,当時,映画を観ることができた人って,日本人全体の何パーセントくらいになるのだろう。まだまだ,一部のセレブの娯楽だったはずだ。
 であればこその輝きって,きっとあるんだと思う。

● 原節子の母親役を演じた杉村春子が印象的。苦労を重ねてきたのに,その苦労を表に出さず,静かに娘を諭す。かつての母なるものの理想像。大いなる諦念を身体化しているかのような。
 ほぼ同じ時期の小津安二郎「東京物語」では原節子の義姉役を演じているんだけど,それとの落差も印象的で,この人は何でもやれる人なんですな。

● 「おかあさん」は田中絹代のために作ったのかと思える映画。この人,今でいうと吉永小百合的存在ですか。あまり器用な人ではないと思うんだけど,女優に器用さなんていらないじゃんと思わせる。
 ほどよくシリアスで,後味もいい。胃にもたれない。

● 着るものを繕い,箒を使って掃除をし,手で洗濯し,ご飯を炊くのも文字どおりの自炊だ。当時は,会社の仕事よりも家事労働の方がずっと大変だったに違いない。
 その後,洗濯機や掃除機がすさまじく普及していくわけだが,メーカーの開発動機は先鋭だったに違いない。社員の誰もが母親の苦労を間近に見ている。楽にしてやりたいという思いは本物だったはずだ。

● 今回の4作品の中で最も印象に残ったのが「浮雲」。高峰秀子と森雅之の「不倫関係を断ち切れない様子を描いたもの」。
 「不倫」というのは問題の一部であって,要は,森雅之演じる富岡という男は,女に対して腰が軽いんだね。少し自重しろよ。そうしていれば,高峰演じるゆき子が味わう苦痛や屈辱感は,数分の一になったんじゃないか。
 でも,まぁ,男は全員,富岡の気持ちは理解できるでしょうね。

● 「あきらめても裏切られても離れられない二人のやるせなさは,なにかにすがりつかずには生きていけない人間の業の深さを描いた成瀬の代表作」と紹介されている。そうなのかもしれない。監督は「人間の業の深さ」を描きたかったのかもしれない。
 が,こちらの受けとめ方はそういう次元には至らなかった。女の可愛らしさと,それ以上に女の凄みを演じた高峰秀子の,今の言葉でいうとキュートさがいいなぁ,っていうもの。情けない。

● この映画でもそうなんだけど,相手のために自分を殺せる度合いは,圧倒的に女の方が高い。その代わり,女に覚悟を決められたら,男に対抗する術はない。
 あだや軽々に扱ってはならぬ。

● 女が自然であるのに対して,男は人工。女が本音で動くのに対して,男はきれい事を並べる。女が身を挺するのに対して,男は遠巻きに眺めている。人生における当事者感覚がだいぶ違う。
 この映画も,林芙美子の原作があるわけだけど,男が演出している。男が女を描くと,どこかに甘さが出る。実際の生身の女性は,この作品以上に手ごわいものだというのは,大人の常識になっていないといけない。

● 「乱れ雲」は1967年の作品。他3作品はモノクロなのに対して,これはカラー。もうひとつ大きな違いがあって,他3作品では道路が舗装されていない。画面には映っていないが,雨の日はぬかるみ,風の日には埃がたったことだろう。
 それがこの作品では道路はすべて舗装されている。ケータイやパソコンやインターネットはないけれども,都市の骨格も生活水準も現在との連続性を感じさせる。

● 主演は司葉子と加山雄三。加山雄三って不思議な役者さんだね。陰影はないわけですよ。演技も一本調子っていいますかね。
 シリアスな心情の推移を丁寧に演じていく司葉子に対して,ほとんどノーテンキな性格の劇中人物を作っている。母親役の浦辺粂子らに助けられている感は否めないでしょうね。
 ただ,そのノーテンキぶりが何だかいいんですよねぇ。ここが不思議なところ。加山ありきで脚本も作っているんだと思うんだけど。
 それと,とぼけた役でちょっとだけ登場する左卜全,いいですなぁ。

● 司葉子はこのとき33歳。今の33歳に比べると,ずいぶん大人。悪くいうと老けている。まだこの頃は,大人がきちんと大人になってくれていたんでしょうね。
 今は,年齢層を問わず,若返っているのは確かなようだ。たぶん,いいことなんだろう。

2013年6月12日水曜日

(2013.06.02 宇都宮市立南図書館名作映画会 「晩春」)

宇都宮市立南図書館 サザンクロスホール

● 1949年の小津安二郎作品。2010年12月に鹿沼市民文化センターの名作映画会に続いて,今回が2回目。
 父娘の物語。娘(原節子)が自分の面倒をみるために結婚に踏みきらないのを察した父親(笠智衆)が,自分も再婚すると偽る。

● 当時と今とでは世相が違いすぎる。特に女性にとっての結婚は,今よりずっと重いものだったろう。女性にはなかなか職もなかったし,あったとしてもいつまでも勤めるのは肩身が狭かった。
 ハイミスっていう言葉があったね。要するに,社会から受けるプレッシャーが今とは比較にならない。社会が放っておいてくれなかった感じね。
 寿退社が当然視されてたし,結婚年齢も23歳あたりが平均だったのではないか。だから,女子社員は文字どおり職場の花だった。若い子しかいないんだから。

● 今は世話焼きオバサンがいなくなって,自分で婚活をしなければならなくなった。婚活が産業になってしまって,それを飯の種にする人たちも出てきたわけだけど,これはこれでイビツかもね。
 出会いの場がなくなったなんて言われるけど,本当にそうなのかね。ぼくは疑っているんだけど。

● ともあれ,そうではあっても,当時と今とどちらがいいかといえば,圧倒的に今の方がいいと思っている。
 女性が経済的に男に頼る必要がなくなった。結婚しなくても生きていける。結婚はしなければならないものではなく,選択の範疇に属するようになった。あとは本人の意識の問題。その方がいいに決まっている。

● 劇中の原節子も立派なハイミス。笠智衆演じる父親は,世間体を気にしているふうではないんだけど,結婚が女の幸せだっていうテーゼを疑っていない。この時代であれば当然だ。
 しかも,自分が娘の幸せを妨げる原因になっている。であれば,ぼくが彼の立場であっても,この程度の芝居は打つかもしれない。

● ただ,この娘は父親に恋人的愛情まで抱いているようでもあり,ひょっとすると,結婚させるよりこのままにしておいた方が,娘の幸せだったのかもしれないなと思わせる。狙った演出なんでしょうね。
 原節子の演技によるのかもしれない。「おもらいになるの? 奥さん」って笠智衆に詰るように訊ねるところがあるんだけど,これなんか恋人に対するがごとくだったなぁ。

(お断り)
 じつは,この映画,直前に用事ができちゃって,観に行けませんでした。観る前にこの文章を書いておいたのですが,そのまま載せちゃうことにしました。