TOHO CINEMAS 宇都宮
● 脚本と監督はデミアン・チャゼル。ジャズピアニストのセブをライアン・ゴズリング,女優をめざすミアをエマ・ストーンが演じる。
● ミアが最初に登場するのはバイト先のカフェのレジ。西洋の女性って,いくら美人でも,いかにも肉を喰って育ったという感じに見えてしまうんだよね。
つまり,女と思えない。雌という感じがする。ミアが女性に見えるのは,上映開始から20分くらい経ったあたりからだな。
対して,セブは最初から男性に見えたよ。このあたりはぼくが男だからかね。
● 高速道路で渋滞中の車から次々に降車して,群衆がダンスを始める冒頭のシーンに驚愕。こういうのは日本の映画では見たことがない。アメリカの映画だなっていう気がする。
ここでオープニング・ナンバー"Another Day of Sun"が歌われることになるわけだけど。オープニングなんだから派手に行かなきゃ。
● ミアが乗っているのはトヨタのプリウス。待て待て,売れない女優(の卵)が乗れる車じゃないだろうよ。というような突っ込みどころもあり。
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3/6の読売新聞 |
● セブがジャズについてミアに語るシーンがある。ジャズは聴いただけじゃわからないんだ,見なくちゃダメだ,と。
ジャズに限らない。クラシックだってCDを聴くだけじゃなくて,たまには演奏している生のシーンを見た方がいい。
じゃあ視覚障害者にはジャズはわからないのかという突っこみは入らないと思うんだけど,おそらく視覚障害の人たちは,健常者が耳+眼で入力する情報を,耳だけで感知できるのだろうと思う。
● 現実に虚構を挟みこんで,時間を巻き戻す,あるいはもう一つのあり得たかもしれない人生を描いてみせる手法は,ありふれているのかもしれないけれども,こちらの胸に迫る。
しっとりと楽しめる佳作だと思った。
宇都宮市立東図書館 2階集会室
● 1943年の戦争映画。アメリカでは第二次大戦中にこういう映画を作っていたのだ。戦意高揚の思惑もあったんだろうな。
すでに連合軍側の勝利は明らかになっていた頃だろうけど。
● 邦題は「戦車隊」というんだけど,出てくる戦車は1輌だ。隊列を組んで進軍するという話ではない。
アメリカ軍のジョー・ガン軍曹が格好良すぎる。ハンフリー・ボガードが演じる。イタリア人捕虜ジュセッペを演じた,J・キャロル・ナイシュの存在感も特筆すべきだ。
女性は一切登場しない。男たちだけの世界。実際の戦争は,戦闘よりも別の理由で死ぬことが多いんだと思うんだけど,スクリーンを見ている分には,男はここまで凜々しくなれるのかと感じる。
命のやり取りをしながら,秩序は保たれる。上官の命令は守られる。極限の状態だからこそ,かもしれないな。
● 彼らは饒舌でもある。洒落た,あるいは皮肉の効いた会話を続ける。でなければやってられないのか。
かつての日本軍はどうだったのだろう。特攻に飛び立つことが決まったあとは,饒舌になったのだろうか,それとも内面を見つめる的に寡黙になった人が多かったのだろうか。
● 今は映画を見るだけなら,自宅でいくらでも見ることができる。WOWOWをはじめBSでたくさんの映画が放映されているし,CSなら映画専門チャンネルがいくつもある。録画して見ればいい。TSUTAYAでDVDを借りるという古典的な方法も健在だ。
今だと,ネットで借りられるんだってね。ぼくは知らなかったんだけど,相方に教えてもらった。申し込むと,コンテンツが自分の端末に自動的にダウンロードされるんだそうだ。“1週間”で申し込めば,1週間後にはダウンロードされたコンテンツが自動的に削除される。ゆえに,うっかりしていても延滞金が発生する可能性はない。
● なるほど,それは便利だ。現物をレンタルするわけではないから,劣化から完全に自由になる。権利関係の調整さえつけば(ついているんだろうけど),利用者にもありがたいサービスだ。
今どきは,ブロードバンド(懐かしい言葉だ)でのインターネット接続は,基礎的なライフラインになっているから,それを使うことが前提のサービスがどんどん増えていくのだろう。
● が,そうであっても,ぼくのような昔人間は,一人で映画を見てもつまらないと思ってしまう。大勢と見るのは,不愉快を感じることも多いんだけど,それでも一人で見るよりは映画を見たという気がする。
移動時間と移動コストを考えると,映画そのものは無料でもけっこう高くついているんだけど,それでもなお(専用劇場ではなくても)自分以外の人もいるところで映画は見たい。
TOHO CINEMAS 宇都宮
● 昨日に続いて,今日もTOHO CINEMASで映画を観た。「恋妻家宮本」。
主演は夫婦を演じる阿部寛と天海祐希。脇に菅野美穂と相武紗季という豪華版。
● 縦糸は,息子が独立して2人に戻った夫婦が,互いの存在を見つめ直すという展開。
が,もっと重要な横糸があって,教師(阿部寛)と教え子(ドン:浦上晟周,メイミー:紺野彩夏)の関わりだ。
● 監督の遊川さんが,「何よりも『正しいことよりも,優しいことが大切だよ』という重松清さん(原作者)のメッセージを伝えたかった」と語った,そこのところだ。
ぼく一個は,阿部寛,浦上晟周,紺野彩夏が主役の映画だったという印象を持った。
● そもそも夫婦の間には何も問題はないわけでね。たまたま妻が離婚届を書いていたのを夫が見つけてしまって,そこから先は夫の疑心暗鬼と妄想が自己増殖していくだけのこと。
さっさとこれはどういうわけだと訊いていれば,何も問題はなかった。それでは映画にならないわけだけれど。
● ただ,その展開の途中で,ぼくは何度か泣いてしまった。老人性涙腺失禁というやつだ。
ちなみに,相方は途中で寝てしまった。ま,体調があまりよろしくなかったらしいんだけど。
TOHO CINEMAS 宇都宮
● 昨年11月以来のTOHO CINEMAS。「本能寺ホテル」を見た。出演は綾瀬はるか,堤真一,濱田岳 ,風間杜夫ほか。
近藤正臣をスクリーンで見るのはだいぶ久しぶり。半世紀近く前,テレビの「柔道一直線」で足でピアノを弾いていたのを見て以来かも。
● 音楽は佐藤直紀さんが担当。木村拓哉主演のテレビドラマ「GOOD LUCK」に使われた「Departure」は,今でも時々聴いている。
本人としては「Departure」が代表作だとは思われたくないかもしれなけれども,売れたという意味では「Departure」でしょ。
● 楽しめた。笑えるところも多々あり。その筆頭は「ブリブリギッチョウ」という子供の遊び。綾瀬はるか演じる繭子の主導のもと,織田家臣が総出で「ブリブリぃぃぃ」「ギッチョぉぉぉ」と興じる様は,とても笑える。最後は堤真一の信長まで加わる。いい大人が何やってるんだ,と。
しかし,それで怖れられる一方だった信長の位置づけが変わる。物怖じしない繭子の面目躍如。
● つまりは若い娘と(といっても,綾瀬はるかも30歳を超えたんだっけ)中年男の恋愛ものってことになるんだろうか。普通,これを恋愛とは言わないと思うけれども,それでも恋愛の一形態であると考えた方が落ち着きがいい。
● 綾瀬はるかの綾瀬はるかたる所以というのは,彼女の声にあるような気がした。ルックスや表情はもちろんだけれども,それよりも声。
相方は綾瀬はるかが好きで,顔も雰囲気も良くて癒されると言っている。もう一度見たい,と。
あなたと見た映画の中では今日のが一番良かった,とも言っていた。「あなたと見た映画の中では」か。
宇都宮市立東図書館 2階集会室
● 1936年(昭和11年)のアメリカ映画。監督はアルフレッド・ヒッチコック。ヒッチコックの初期の代表的な作品,というのは係の人が言っていたことの受け売り。
● リチャード・アシェンデンにジョン・ギールグッド,エルザにマデリーン・キャロル,将軍にピーター・ローレ。マーヴィンにロバート・ヤング。
時は第一次世界大戦の最中。アシェンデン,エルザ,将軍の3人が,イギリスの諜報員。ドイツのスパイが紛れ込んでいるから消せと指令を受け,スイスに派遣される。
● で,スリルあり,笑いあり,ドタバタありの場面が続くわけだ。映画はすべて娯楽映画のはずだ。見るのが苦痛であるほどのスリルを盛りこむわけにはいかないだろう。
この映画もそこは充分に娯楽映画になっている。楽しむことができる。
● アシェンデンとエルザは間諜員としてはまるでダメ。将軍は優秀な間諜員。肝が据わっている。そのうえ,ボケ役も兼務していて,懐の深い男として描かれている。
展開に不自然なところもある。誤って市民を殺害してしまったアシェンデンたちに,指令者から間違えているという連絡が入る。スパイの名前は○○○だと知らせてくる。
だったら最初から教えろよ,と突っこみたくなるところだ。市民一人を殺さずにすんだろうがよ。
● ただね,吹っ切れなさを残して終わるのは,ヒッチコックだなぁと思うところがあった。
最後にじつはドイツのスパイだった男とトルコに出かけるエルザ。本当は彼がドイツのスパイだと知っていて,味方の前で演技をしていたのかもしれないと思わせるところがある。スクリーンの彼女は決してそうではないんですよ。任務よりも恋を選び,その恋が上手く行かなくて,傷心のうちに男と出かけているんですよ。でも,味方のみならず観客まで騙して,じつは・・・・・・と思わせるところがあるんですよ。
いや,さすがにそこまで言うのは,言う方に無理があるんですけどね。
高根沢町図書館中央館 2Fアートホール
● 「入場無料です。お気軽にお越しください!」というので,行ってみた。午後1時に始まって,3時40分に終了。上映されたのは次の2本。
謎の海底 サメ王国
世界名作アニメ ピノキオ
● 前者は2013年にNHKが制作したドキュメンタリー。NHKで放送されたものだと思われる。駿河湾と相模湾の深海は深海サメの宝庫。多種のサメが生息している。その生態をカメラが捉えた的な。
好きな人は好きなんだろうな。ぼくもこういうの,嫌いではないんだけれど,かといってさほど好きなわけでもなく。
● 太古から進化を止めている深海サメ。なぜかといえば,深海は地表に比べれば環境変化がなかったから。進化しなければならない理由がない。
ヒトは進化の最終形態なのかそうではないのか。どっちでもいいんだけど,進化したのが偉いってわけでもないんだな,と。
● 深海サメを研究対象としている学者が2人,登場する。研究対象としているというと聞こえがいいけれど,要はヘンなのに興味を持って,それを追いかけているわけだ。つまり,オタクだよ。学者=オタク,でよろしいか。
女性のスカートの中を追いかけると刑務所に行くんだけど,深海サメを追いかけると大学の教授になる。
● けれども,好きなことを追求してそれが仕事になっている人って,羨ましい。2人の学者,どちらも活き活きしてて,楽しくてしょうがないって感じだったからね。
● 「ピノキオ」は1940年の作品。もちろん,アメリカ製。ピノキオのストーリーって,ぼくの場合は,小学生のときに講談社の絵本で仕入れたものだと思う。
で,そのときの記憶とディズニーランドのピノキオのアトラクションの場面展開が合わなくて,少し違和感を持っていたんだけど,それが解消された。ディズニーランドのアトラクションは,この映画のストーリーをそのままなぞっているのだった。
● で,この映画のピノキオには落ち度はまったく何もない。命を吹き込まれたばかりの赤ん坊も同然のピノキオを,学校に行かせるゼベット爺さんが間違っている。
しかも,木の人形が歩いて喋るのだ。人目を惹くのは当然だ。悪いやつに騙されてサーカスに売られたり,“喜び島”に送られたりするのも,ピノキオの責任ではない。
要するに,邪悪な人間世界に無防備で飛びだしたのがピノキオだ。
● で,最後は,大鯨に呑みこまれたゼベット爺さんを命を呈して助けに行く。見事に助けだして,ピノキオは人間になることができた。
つまり,ピノキオはあり得ないほどにいい子なのだった。この映画においては。
● せっかくの図書館の行事なのに,客席にいたのは数名。他の施設での催事と重なったらしい。それが理由だよ,と言っていたご老人がいた。
昔の映画を上映して人を呼ぶのは,かなり難しいのだろう。対策としては,親子で見てねという今の路線を廃して,往年の名画に特化すること。そうすると老人ばかりになるけれど,老人は数が多いから,頭数は増えるのじゃないか。
ただ,それは宇都宮市立図書館がすでにやっていることだ。同じことをやるのもシャクかな。
TOHO CINEMAS 宇都宮
● 朝の9時過ぎ。この時間帯でも,TOHO CINEMASにはけっこうな数のお客さんがいた。シネコンなんて言葉,もう死語になっているのかもしれないけれど,シネコンができる前の映画館の惨状と対比すると,隔世の感がある。
映画は死んだとまで言われていたのではなかったか。テレビに圧されっぱなしで,もう風前の灯火だみたいな。
● けれど,今になってみれば,映画そのものが斜陽だったのではなくて,映画を観る場が時代遅れになっていただけだったのだとわかる。
薄暗い。トイレの臭いが漂ってくる。学校の購買部より貧弱な売店と愛想のないおばさんの販売員。裏街道に迷いこんだと思わせる,悪場所的な雰囲気。
懐メロ爺さんの中には,それが良かったのだという人もいるかもしれないけどさ。
● シネコンは映画を明るい健全娯楽にした。明るくなれば陰は消える。
今のシネコンは屈託がない。性別や年齢を問わず,夫婦やカップル,家族連れ,一人者,誰でも好きな映画を気兼ねなく観に来れる場になった。
初めてシネコンを構想し,作った人は,偉いと思うな。
● その偉い人の発想を刺激したひとつは,ディズニーランドだと思うね。ディズニーランドは誘蛾灯だ。ああいうものに人は群がるものだとわかった。だったら,映画館も同じようにすればいいじゃないか。
飲食物で儲けるっていうビジネスモデルを成功させたのもディズニーランド。これもしっかり真似ている。シネコンも,チケット収入より,ポップコーンとドリンクで儲けているよね。
● 持ち込みは禁止なんだよ。見ながら飲み食いするとうるさいからという理由。だったら,館内販売のポップコーンやドリンクだって同じ理屈でダメなはずだがな。
でも,客席にはコップを置くためのホルダーが設置されている。どうぞ,飲みながらご覧ください,って。
● ポップコーンもドリンクも,いくら何でもボッタクリすぎだろうと思える値段だ。だから,ぼくは買ったことがない。
なんだけど,あまりお金を持ってなさそうな高校生がジャンジャン買っている。彼女とデートに来ている? お金を惜しむところじゃないんだろうな。
って,そういうことじゃないようだ。条件反射で買っているんじゃないかと思う。映画とはポップコーンを食べながら見るものである,っていう。
● 相方もポップコーンを食べるのと映画を見るのをセットで考えているようだ(だから,相方はここのポップコーンを買う)。
映画を見る時間を大切にするということは,つまりポップコーンを食べながら見ることとイコールのようなのだ。映画を楽しむという体験の中に「ポップコーンを食べる」も組み込まれているのだ。
● さて,この映画は北杜夫の原作を山下敦弘さんが監督。“おじさん”は松田龍平。頭が良くて気が利く甥の雪男(つまり“ぼく”)に大西利空。
雪男の父親が宮藤官九郎で,母親が寺島しのぶ。物語後半のマドンナになるエリーさんに真木よう子。
● 一緒に見た相方の意見は,後半は要らないというもの。北杜夫の原作にこんなのはない。“おじさん”の抜けぶりを淡々と映像にしてくれればいい,恋愛ストーリーはいらない,ということ。
ぼくも北杜夫の小説やエッセイはほぼすべてを読んでいると思うんだけど,相方も幼い頃に北杜夫を知って,耽溺した過去があるらしい。原作の香りをそのまま映像にしてほしい,余計なものは入れないでほしい,と考えているようだ。
● でも,ま,ストーリーがないと2時間もたせるのは難しくなる。エリーさんを巡って,“おじさん”と老舗の和菓子屋の御曹司(戸次重幸)が演じるドタバタも面白かったけどね。
“おじさん”と雪男が,並んで海を見ながら,そろそろ日本に帰ろうかというシーンも,絵的にキレイだったし。
● この映画は雪男でもってるような気がしたね。大西利空の可愛らしさと巧さ。天才子役の誕生だ。
が,子役ってわりと使い捨てにされる印象あり。あんまり芸能界に深入りさせない方がいいよなぁ,親としては,と余計なことも考えた。