2022年2月22日火曜日

2022.02.21 シネマの天使

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● 「シネマの天使」(2015年)。「1892年に芝居小屋としてスタートし」た「広島県福山市の老舗映画館・シネフク大黒座の閉館にまつわるストーリを,実話を織り交ぜつつ,取り壊し間際の実際の大黒座を使って撮影。スタッフや観客,大黒座を取り巻く様々な思いが交錯する様子を,閉館までのドラマとして描く」。

● 主演は,映画初主演となる藤原令子と本郷奏多。他に,石田えり,ミッキー・カーチス,阿藤快,末武太。
 阿藤快はこの映画が上映されている2015年11月14日に急逝したため,本作が彼の遺作となった。

● 福山市の映画館が舞台なのだが,この映画に登場する人物たちは,普通に標準語を話している。福山というと,広島弁とも違った福山弁が話されているのではないかと思うのだが,劇中で使われているのは標準的日本語であって,福山弁ではなかった。
 福山弁でやったら聴衆に意味が伝わらないかといえば,さすがにそんなことはない。ひょっとして,福山だけの話ではない,全国で起きていることだから,ということなんだろうか。
 そんなことはないだろうね。たんに,福山弁は難しすぎたということかね。

● エンディングロールに合わせて,大黒座と同様に消えていった全国各地の老舗映画館が紹介されている。これらの映画館は,申しわけないけれども,消えるべくして消えたのだとぼくは思っている。
 ひと言で言えば,快適な空間ではなくなってしまった。大衆が求める快のレベルがどんどん上昇しているのに,映画館はそれに対応できなかった。たとえば,喫煙対策も後手に回っていただろう。
 お金を払って快適とは申しかねるところに行く人は,映画が本当に好きな人だけに限られる。どの世界でもそうだが,本当に好きな人しか来なくなったら,倒れるしかない。

● シネコンに押されてということではない。シネコンは製作サイドからすれば救世主のはずだ。斜陽化を喰いとめる解を具現化してみせたのがシネコンだった。
 2本立て,3本立てをやめて単発にし,入替え制にして映画が終わったら必ず観客を追いだすようにした。料金は下げない。それでもお客は戻ってきた。
 大衆が求める快に追いついた。何だ,映画がダメなのではなくて,映画を見せる場がダメになっていただけだった,とはっきりさせた。
 何が快なのかを映画館関係者はわかっていなかった。あるいは,わかっていてもそれに対応するための資金もノウハウもなかった。そういうことなんだろうかなぁ。

● 劇中で阿藤快の映写技師が,家で見られるものをわざわざ映画館に来て,暗いところに押し込められて見る人はいないよ,というシーンがあるのだが,これも少し違うと思う。
 映画のDVDがずいぶん安くなったのは事実だし(特に,往年の名画とよばれるもの),インターネットを使ったサブスクの配信サービスが普及したのも事実だけれども,DVDやサブスクの普及が先で,映画館の衰退が後なのではない。映画館の衰退を埋めるようにDVDやサブスクが登場したのだ。

● 大黒座ほどの規模ではないにしても,昭和50年頃までは人口が3万人ほどの小都市なら,映画館は必ず存在した。娯楽の代表が映画という時代の残滓が残っていたのはその頃までだったろう。
 映画の斜陽化が言われていたとき,引き合いに出されたのがテレビだった。テレビによって家庭のリビングが映画館になったのだから,といった言われ方。本当にそうだったのかどうか。検証されたんだろうか。
 そのテレビももはや風前の灯火に見える。インターネットに押されてというより,業界内部の驕りや知的水準の低下があって,勝手に自爆したという印象だ。

● 一方で,映画館で見るのと,自宅でサブスクを使って見るのとでは,同じ映画を見ても視聴体験としては別のものになる。インターネットで見られるのだから映画館は要らない,とはならない。
 ただ,今の娯楽状況は,提供する側から見れば,同業他社(者)だけではなく,自分以外のすべてがライバルだと考えなければいけなくなっている。お金の奪いあいではなく,時間を奪いあっているからだ。大衆の1日24時間のうち,どれだけの時間を自分が提供するサービスに使ってもらえるか。

● そうした映画館が盛況だった時代を良き時代だったとは言わせまい。ぼくがひとりで映画館に行けるようになった頃(小学校の高学年)はすでにその時期は過ぎていたのかもしれないが,ひどい時代だった。
 今から見たら,当時の日本人はマナーはなってない,他人を顧みない。全体的に短気で傍若無人だったと思う。衣食足りて礼節を知るところからはほど遠かった。軽自動車で煽り運転をやって逮捕されるバカが時々出るが,ああいうのが当時は今よりはるかに多かったのではないか。
 年寄りたちが,今の若者は,というのを聞くと,あんたが若者だったときは今の若者より三階級下だったぞ,と毒づきたくなる。あの頃の映画館はあの頃の日本人の身の丈に合っていたものだったのだろう。